30年間ずっと補欠だった/2023.7.26
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最近とある人をインタビューした時に
運動できるかどうかは、遺伝もあるがそれ以上に
子供の頃、どれだけ運動していたかどうかが重要で
競技によっては、小学生高学年から始めるのでは
もう手遅れというものもあるそう。
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そんな話を聞いて
「だから、自分は運動音痴だったんだな」と納得した。
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僕が、子供の頃 習ったスポーツは
小学三年生の頃 半年だけ水泳。
兄が喘息改善?のため水泳を習っていて
それでやりたい!と自分からお願いして通わせてもらった。
けど「塩素で目が痛くなるから行きたくない」
と適当な理由をつけて辞めた。
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そこから、ほぼほぼスポーツに関わることがなかったのだけど
小学六年生の頃、ずっとゲームばっかりやってた友達が
バスケにはまって
その付き合いで、人数合わせ的に参加。
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その流れで中学も友達がいるからバスケ部に入部。
ちなみに当時の中学一年1学期の三谷の運動能力は
50mは9秒台
幅跳びも男子は3m以上飛ぶ中、2mちょっと
高跳びも90cm程度と
どれも平均以下。
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そんな奴が、バスケ部なんかに入っても
試合に出れることなんてできる訳もなく
ずっとベンチで惨めな想いをするだけだと
大人になった今ならなんとなく想像できるのだが、、、
それにも気づかずアホな顔して入部
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そこからずっと補欠人生
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当時は何も考えず、仲の良い友達がいるからという
ただそれだけの理由で入部。
他の部員ともすぐ仲良くなり
この部活に所属しているということが
なんとなくの安心感としてあり
一年生の間は、いっても部員のほとんどが補欠なので
試合に出れないことも気にならなかった。
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しかし…下級生が入ってきてからが地獄。
合宿だなんだ1年間辛い練習を乗り越えようが
小学校ずっとスポーツやってきましたみたいな
運動大好き少年で50m6秒台で走りますみたいな
スポーツエリートに叶う訳もなく
下級生よりも下手という屈辱を味わうことになる。
3年生が引退し、自分達の学年がトップ。
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バスケは5人でやるスポーツ。
練習の時もチームを組むのだが
Aチーム(スタメン)
Bチーム(試合にも途中交代で出る2番手)
Cチーム(ほぼ試合には出ることのないメンバー
このうちの半分くらいが、たまに練習試合に出れる)
Dチーム(ほぼ試合には出ることはないし、練習試合にすら出ることはない)
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2年生11人 1年生12人いるなか
僕はDチームとCチームを行ったり来たり。
ちなみにAチームにもBチームにも
下級生の自分より上手い子が選抜されている。
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これだけでも、屈辱的なのだが
さらに、ユニフォームをもらえるかどうか?
というボーダーラインもある。
正確な数は覚えていないのだが
確かベンチに入れるのが13人とかで
試合用のユニフォームを
それ以上作る必要がないということで
CチームとDチームを行ったり来たりしていた僕は
ユニフォームすらもらえず…
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だけどそのユニフォーム自体は
部員のカンパで購入するので
確か3000円くらい徴収された気がする。
バスケ部の中で下から数えた方が早いくらい貧乏なのに…
親には特になんの金か伝えず部費とだけ言ってお金をもらった。
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試合に出るための努力はしたのか?
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自分なりにはしていたつもりだけど
足りていなかったのだと思う。
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何故、辞めなかったか?
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