おばぁちゃん子ではなく、ひぃおばぁちゃん子/2023.8.1/


先週、母から家族のグループLINEに

「今日はお祖母ちゃん(父方)の命日です。

11時より三回忌を行います

お祖母ちゃんのことを思い出して偲んでくださいね」

確か92~3歳での他界。

自分にとって、父方の祖母はどんな存在だったか。

小学校の頃は、夏休み、冬休み、春休みの度に

島根県出雲市に出向いていたので

当時 東京都国立市立第五小学校の

同級生に比べたら祖母と過ごした時間は

比較的長かったように思う。

ただ、自分がおじいちゃんこ

おばぁちゃんこだったかというと

そうでもない。

一般的なおばぁちゃんこのイメージは

両親が忙しい or 厳しくて

おばぁちゃんが優しくしてくれた。

だから、おばぁちゃんが大好きだった

みたいなパターンをよく聞くのだが

自分の場合は、祖父母の家に、単身で

春・夏・冬休み 行っていたので

夏休みの場合、祖母 祖父 曽祖母 自分という

メンバーで40日近く過ごす。

もちろん、途中、従兄弟が来たり

自分の他の兄妹と両親が1週間だけ合流したりと

メンバーが増えることもあるが

基本的には、祖母 祖父 曽祖母 自分の4人。

というメンバー構成のため、今思うと

この長期休みの期間 僕に対して

祖父母はそこそこ厳しかった。両親くらい。

なので、おばぁちゃんこ、おじいちゃんこにはならず。

その代わり、なんでもかんでも

優しくしてくれたのは、曽祖母-ひぃおばぁちゃん-だった。

100回 肩叩いたら100円のお小遣いをくれる約束で

口では100回、実際は80回くらいしか叩いてない

バレバレの嘘をついても100円くれたし

子供一人でやることがないから

一緒に近所を散歩に行ったり。

それが居心地が良かったから

夏休み最後の日とかは

当時80オーバーのひいおばぁちゃんが

次の冬休みもちゃんと生きててほしいなと思いながら

帰りの飛行機の窓から雲を眺めていた。。

じいさんも散歩に連れてってくれたが

当時まだ60代で体力があり

山に登ったり割とハードな道を選びがちで

正直、一緒にいきたくなくて、

楽しい時間というよりは

辛いことに付き合わさせられたという感覚。

従兄弟が3人いて、そのうち自分より年下が二人。

その二人といると何かにつけてお前は大人だから我慢しろと言われ

年上の自分の兄や、従兄弟のお姉さんといると

お前は子供だから我慢しろと言われ

その理不尽さに苛立っていた。

今、大人になって冷静に振り返ると

じいさんもばぁさんも、僕に飽きてたのだと思う。

春・夏・冬合わせて70日近く一緒に住んでる孫より

たまに来て、さっといなくなる孫の方がレアだから

大事にできるのは当然のこと。

恨みというと大袈裟だけど

そういう小さいわだかまりは

高校まで残っていてひいじいさんの10回忌で

小学6年生の春休み以来、5年ぶりに祖父母の家に行った時。

法事の前日から祖父母宅に到着。

やることがないので、ずっと携帯をいじっていたら

じいさんが、農作業用のトラクターのタイヤを変えるから

手伝ってくれと頼まれ渋々引き受けた。

手際の悪い僕を見て

「こんなこともできないと、将来 車持った時に大変だぞ」と

ハッパをかけられ、それに妙にイラッとして

「別に車なんて、一生持たなくても生きていけるから大丈夫」

思春期も相まって、こんな田舎に住むわけじゃないからという

嫌味を込めた攻撃的な言葉を投げかけてしまった。

口論が少し続きその後、なんとも言えない空気が漂った。

作業を終えたじいさんは寂しそうな顔をしながら

家の中へと戻った。

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