鞄持ち生活18日目~本音で話すことの難しさ~

他人との距離感がよくわからない

一見フレンドリーで気さくな雰囲気を持っている人が実は自分のことをあまり話さなかったり、堅物そうに見える人物が2人っきりになると饒舌になったりすることは往々にしてあることだ。

基本的に人に興味を持てない人間だから、人の気持ちはわからない。人の望んでいることがわからない。目の前の人間の言葉と表情、そして行動を見てよく考えるけど、結局何が真実なのかよくわからない。

インターネットは人を近づけたのか遠ざけたのか

インターネットは人と人の距離を近づけてくれたかもしれないけど、それと同じくらい壁を作ることも容易になってしまったんじゃないか。

ネット上での自分がシラフの時の自分と酔った時の自分との差とは比べ物にならないくらい開いている人だっているだろう。

表面上ではニコニコしていても、裏では何を考えているかわからない人が多すぎる。いちいち考えていたら気が狂ってしまいそうだ。

「本音をぶつける」ということはとても難しい

自分は相手に「本音をぶつけてほしい」と思っていても、実際に相手が本音をきちんとぶつけてくれることは本当に稀なんじゃないか。

自分と相手の立っている場所、見えている景色は違う。だから考えていることも全然違う。人にかけられるエネルギーだって違うし、向いている方向だって違う。

同じ方を向いていると思っていた相手が全然違う方向を見ていた、なんてことが実は日常にごくありふれているのかもしれない。

だから本音でぶつかってほしいと言われても、その「本音」は全然違う方に飛んでって、くねくね曲がって、はじめとは全然違う色形になってしまうんだと思う。

互いにうまく本音をぶつけ合うにはまず、思い思いの方向でも、同じ方向でもなく、お互いに向き合わなければいけない。

自分が一方的に投げた言葉は相手にうまく届くとは限らない。当たり前のことなのだが、相手のことをちゃんと”見て”投げなくてはいけない。この場合は、間違っても勝手に「イメージしたり」「察し」てはいけないのだと思う。

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今日はいろいろモヤモヤすることがあって、こんなまとまりのないことを考えてしまった。

言葉はいくらでも取り繕うことができて、表情とか仕草はインターネットではわからないから、その向こう側はよくわからなくて、リアルにあの人が何を考えているかなんて全然わからない。

ネット上でいくらファンだとかフォロワーだとか言おうが裏でなんとでも言える。とりあえず言葉よりは行動を信じる。

見える反応よりも見えない反応の方がずっとずっと怖いと思った。でも気にしてもしょうがないので、必死で他のことで気を紛らわせようとするけれど、なかなかうまくいかない。言葉もなんだかバラバラだ。寒さのせいかもしれない。

明日で鞄持ちは最後になる。淡々とやるべきことをやる。
金谷は誘惑や刺激の多い東京と比べて本当に集中できた。考え事も捗ったと思っている。10月に向けてそろそろ助走をはじめよう。

おしまい


もちろんお酒代にさせていただきます!ありがとうございます!!