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時が経つのは·····

大分昔の話になるのだけれど、ギターとのユニットを組んで地方にツアーに出ていた時に、まだあどけない女の子がお母さんと一緒にライブに来てくれたことがある。
秋田荷方節を弾き始めた時に食い入るように見ていたその彼女。今年の弘前大会でA級優勝した女性なのだと知った。

その当時知っていたのは、神谷先生に師事していて、後に様々な大会で入賞をしていたような記憶だけが残っている。というのも、自分が大会に出ていたのは10年も前。入賞したければ、入賞出来る手を弾けと言われ、どんどん自分がダメになっていく感を拭えなくなっていた。狙えることも無い曲弾きなら、出場も辞めようと決意し、毎年この時期になると、頑張っている奏者の皆に陰ながらエールを送っている。

いつも言うことだけれど、皆のように好きで始めた三味線では無かった。音楽にしがみつきたいが為に再び手にしたというのが正直なところ。そこで既存のものとは違う三味線をと思い、曲弾きの大会とは違うコラボレーションでの大会には積極的だった。そこでは優勝はなくとも、受賞歴はある。観客が選ぶNo.1賞というのは未だに誇りでもある。

そこから自分の迷走が始まる。津軽三味線大会だ。
曲弾きは本当に苦手だった。今でもそうだ。それでも自分で工夫を凝らし、誰に教わるでもなく独自に作り上げていった。ただ前述した通り、受賞するにはコツがあり、それに繋がるのは他の方の指導を請わなくてはならないということだった。
それに従う事がどうしても出来ず、大会出場を辞めて、改めて指導してもらおうと、元の師匠に戻った。
それから10年。何が変わったのかはわからないけれど、確実に言えるのは、受賞歴がなくとも、仕事は頂けるし、プロにはなれる。
食い入るように手を見つめていた彼女が今、素晴らしい奏者になっているのは「好きで居続けること」だと感じている。
来年、また涙になるか笑顔になるかは、好きで続けているという事が1番大事。
少しでも僕に影響力があったのなら嬉しいなと思った日でした。

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