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再認識するのは当然の権利だと思う

先日、師匠のところで稽古をしていたのですけど、相変わらず撥の修正をしています。
正直な話、まだまだ良い音を出せていないと思っていて、その為に色んなジャンルの三味線音楽を聴いては試し、聴いては試しの繰り返しなんです。

音って、やはりその人が出なくちゃいけないなと思っていて、それはフレーズとは違う自分が元来持っているものを引き出せたら良いと思っているんです。
何度も書いて恐縮ですけど、僕が講座で語っている、弾き方もおおよそでは多分合っていると思います。けれども、それは津軽の弾き方とはまた違う気もしていて。

元は長唄、常磐津、新内、浄瑠璃等々、元からある何百年のものから派生したものが津軽だと、僕は考えます。そして、門付けに気づいてもらえるよう、叩き三味線が誕生。諸説色々あれど、いきなり津軽三味線が生まれたとは考えにくいのです。

僕が子どもの頃に聴いていた津軽三味線の音と、現代の三味線の音はずいぶん変わりました。何が変わったかというと、皆同じに聴こえるという事なんです。
18で辞めて、15年経ってから聴いた音の違和感。僕もそれは当たり前だと思っていました。しかしやっていくうちに、やはり今の音とは違う。けれど、三味線の仕様も変わっているだろうし、根本的に「鳴る」三味線でバチャバチャ弾くのって・・・・なんか違うと今も考えています。

というわけで、師匠との稽古でちょっと目から鱗的な事をやってみて、それが今うまいことはまるようになってきました。これは他の方もやっているかも知れませんが、僕がこれは違うよな、っていうことをやってみたんです。
とても窮屈だけれど、とても合理的。そしてそうならざるを得ないもの。まとまり次第、動画で紹介したいと思います。

次回、APIAさんでコラボライブをするかも知れません。
その時には僕の足元もだいぶ余裕が出来るかと思います。
ルーパーで作った新曲ももっと制度を高めていきます。

また次回に撥の動きも、ライブでのルーパーパフォーマンスにも期待していてください。

サポートがあると嬉しいです。