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ギリギリまで粘りましょう

約1か月、朗読活劇の演奏のお仕事に携わっていました。
過去に何回か朗読に合わせる仕事はしていたのですが、それは、

こういうお話を読みます。
そして、ここで三味線を入れてください。

という感じのものでした。
そのお話は概略されていて、話の内容はわかりません。その合わせるところのみを集中すれば良かったのですが、今回は違いました。

台本がある。

それに尽きます。そして有名な本能寺の変。
そこまでにたどり着く壮大な物語。

台本を読んで、イメージを膨らまして、当時の事を想像するしかありません。

どうなるかわからず稽古に入りました。
僕がどれくらいの実力かも演出家の岡本さんは知りません。多分。

けれど、音を聞くやいなや、どんどん注文が入ります。それこそ、本番前の場当たりまで。

それはとても良い刺激でもあったし、僕を伸ばしてくれたことにも繋がったのですが、それよりももっと大事なことを感じたんですね。

朗読劇ですから、台本を読みながらになります。ただ読むだけじゃないということは、みなさんもわかるはずなんです。

昔の演出家さんは、
「何故そんなこともわからないのか!」
「今、お前が言ったセリフは何だ?どこをさしてる!」
「下手くそ!」

なことはなく(笑)
そのセリフまでに行く過程をやんわりと説明していくんです。正解は出しません。考えさせます。そしてそれが役者さんに乗り移る。
そしてその朗読が段々と良くなっていく奇跡をずっと体感していました。

観劇してくださった皆さんにはわかるかも知れませんが、タイトルは
「信長を殺した男」です。なので、結末はもう既にわかるんです。

ひとつのゴールに向かうまでの道筋を如何に美しく丁寧に扱っていくのか。あくまでも僕の主観ですけど、それをものすごく感じた1ヶ月でした。

日常の生活でも、自分たちは常に選択と決断をしています。
歩くのも、最初にどちらの足を出すのか選択をし行動してるじゃないですか。
ランチに何を食べるのか?も選択決断。その中での思考力の深さって、とても大事だなと改めて思うようになっています。
何故、私はトンカツを食べたいのだろうか?
なんて事を考えることが多くなりました。

僕は津軽三味線を教えるということもしていますが、きちんとゴールに辿りつけるような導き方をしているのかな?といつも考えています。

先日、生徒さんが
馴染みの居酒屋で演奏デビューをしました。
生徒さん曰く、
「人前の演奏って楽しいですね〜」
その一言が聞きたかったんです。生徒さんと僕のゴールが一緒になった瞬間でもあります。

ただ、弾くところを見せて、同じように弾いてみてください。なんて言ったところで、出来るはず無いんです。
単なるハウツーは、どうしたら良いかを考える力を後退させると僕は考えます。
ギリギリまで粘って粘って、たどり着いた時というのが、1番伸びるポイントだと思います。
それは年齢、経験、丸っきり関係ありません。
これは本当にそうだと、生徒さんの嬉しそうな顔を見て確信してます。

この話は長くなりますね。
とりあえずはここまでにして。

ではまた。

サポートがあると嬉しいです。