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日本の歴史の流れを簡単にまとめてみた part25 「開国の影響」

213年ほどの鎖国が終わり開国しました。

ちなみに、この213年の計算方法はというと、

①鎖国の始まりが、オランダ商館を長崎の出島に移したのが1641年

②鎖国の終わりが、日米和親条約を結んだ1854年。

③そんでもって、1854年ー1641年=213年

ということです。

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200年ほど引きこもりが続いて開国しました。200年ほどの日本人だけの生活が終わりを告げました。生活に外国の製品や外国人が入ってきます。

まぁ、新しいものや人が入ってきたら様々なトラブルがあるわけですな。

しかも、開国に関して幕府の独断でやってもーて朝廷の同意がないから

ほれ、みてみ、幕府ってダメダメだな、朝廷の言う通りじゃないか

となるわけです。

ここんとこ説明しましょう。

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貿易港には外国人居留地がつくられました。外国人が住んだり商売をするところね。

ところがですね、民衆や下級武士は不満があったんですよ、どういうことかというと、それは⇩の3点を見てみ。

・外国からはとっても安くて質のよい綿織物や綿糸が入ってきました。

こうなると日本のものは買わずに外国のものを買いますよね、当然。日本のものは売れずに国内の生産地は大打撃です。商売あがったり。

・日本からは主に生糸が輸出されました。

んが、生産が追いつかず、国内では品不足になり、他の生活用品も含めて物価が爆上がりしました。モノの値段が上がったということね。

・日本の金貨が外国に持ち出されたため、物価が不安定になった。

 要するに外国で金貨を買うより、日本で金貨を買うのが安かったのですね。

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ほらほら、外国が入ってきて、不安不満の社会になってきた。日本らしいね。

大名や武士や公家は、開国を幕府が独断でしたから、こんなことになったんじゃい、とブーブー言い始めました。朝廷の言うことをきかんかい、ということね。

そんで、開国を決めた大老の井伊直弼は、ブーブーうるさい大名や公家を処罰しました。

また、吉田松陰を死刑にしました。これらを安政の大獄といいます。

ちな、吉田松陰を死刑にしたのは、吉田君が、外国の勢力はうざい、

うざいから外国いらないと主張したからです(これを攘夷論という)。

安政の大獄は、いろんな人の反発があり、井伊直弼は茨城県水戸藩などの浪士らに暗殺されました(これを桜田門外の変という)。浪士ってボスのいない武士みたいなもんです。

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さた、開国を決めた井伊直弼がやられました。こうなると、外国うぜーからいらないと主張する攘夷論が活発になってきます。これは次回。


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