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日本の歴史の流れ part14  「室町幕府誕生と守護大名」

足利尊氏は、北朝から征夷大将軍に任命され、京都に幕府を開きました。

京都の室町で政治を行ったことから室町幕府といいます。


ちなみに征夷大将軍とは、もともとは蝦夷を打つために東北地方に派遣された臨時の指揮官のことなんですが、ここでいう征夷大将軍とは全国の武士のリーダー的存在という意味でとても大きな力を持っています。


幕府は国ごとに任命した守護に対し、これまでの軍事・警察権だけでなく、荘園の年貢を半分得る権利なども認めたことから、地方の守護がしだいに力を強めていきました。

やがて守護は、国内の武士を家来として従え、国司に代わり、その国を自分の領地として支配するようになりました。このような守護を守護大名といいます。

前回、南北朝時代について説明しました。朝廷が北朝と南朝に分裂してしまいました。朝廷が二つに幕府が一つ。日本には3つの大きな政府が存在することになるのです。これでは世の中が混乱してしまいますね。政府が3つもあると、やることなすこと矛盾が生じてしまうことは明らかだし、だれの言うことを聞いてよいのか分かりませんね。

そこで、足利尊氏のお孫さんで、3代将軍となった足利義満は、勢力の衰えた南朝を北朝に合一させました。これでとりあえず一つの朝廷と一つの幕府という状態となりました。

さらに足利氏は朝廷が持っていたさまざまな権限を吸収し、政治の権限を幕府に集中させました。

鎌倉時代から続く公家の朝廷と武家の幕府という二つの政府の状態から、幕府中心へと導いたのです。朝廷は脇役みたいな。

次回は応仁の乱について話します。

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