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日本の歴史の流れを簡単にまとめてみた part34「大日本帝国憲法と国会開設」
板垣退助をはじめとする自由民権運動は憲法の制定と国会開設を主な内容とするものでしたね。
1⃣まず憲法に関して
伊藤博文は、ヨーロッパへ留学し、帰国後、皇帝の権力が強いドイツの憲法を参考にして憲法の草案(下書きみたいなもの)を作りました。
日本は天皇制だから、皇帝がいるドイツの制度仕組みが日本に合っていると考えたのでしょう。
そして大日本帝国憲法が発布されました(1889年)。
この憲法で
日本の歴史の流れを簡単にまとめてみた part33「武力から言論の時代へ、自由民権運動」
江戸幕府が滅び、士族は武士として得ていた収入を仕失いました。
士族の中には屯田兵として収入を得ることが出来た人もいますが、多くの士族が収入を失い生活に困りました。
そのため、政治の進め方に不満を持った士族たちが、各地で反乱を起こしました。
たとえば、鹿児島県では、士族が中心となり、西郷隆盛を指導者として西南戦争が起きました。
しかし、西郷軍は政府の軍隊に抑えられて敗れました。
これ以降は
日本の歴史の流れを簡単にまとめてみた part32「明治維新(4)文明開化」
日本は200年ほど鎖国をしていました。200年…長い。
皆さんが長生きしたとして100歳。+100年。当時の人は外国についてどのように思っていたのでしょう。鎖国中でも中国とは貿易していたので、中国の文化などは触れていたでしょう。オランダとも貿易はしていました。だからオランダの文化などにも触れていたでしょう。
それ以外のイギリスやアメリカなどの情報はオランダを通じて間接的に触れていたのでしょうね
日本の歴史の流れを簡単にまとめてみた part31「明治維新(3)富国強兵」
日本は開国により、イギリスやアメリカなどの欧米列強と貿易などをするようになりました。
もっとも、日本は経済的にも軍事的にも欧米に比べると弱者なんです。
弱者はなめられるとです。貿易などの取引でも日本が不利な立場においやられてしまいます(なめられた結果が開国のときに結んだ不平等条約ですね)。
そこで日本は欧米諸国に対抗するために、強くなることを誓いました。
国が強くなるという意味は、経済(金
日本の歴史の流れを簡単にまとめてみた part30「明治維新(2)廃藩置県と四民平等」
明治維新には、前回でみたこと以外に、廃藩置県や四民平等もあります。
幕府が滅亡した後も、大名が藩を支配する仕組みは残っていました。
新政府ではなく、大名が藩を支配していたのですね。
そこで、新政府は、中央集権国家の建設を目指しました(中央集権国家とは、政府の命令が日本全国すみずみまで行きわたることです)。
まずは
全国の藩主たちに命じて領地(藩という)と領民(籍という)を天皇に返上させま
日本の歴史の流れを簡単にまとめてみた part29「明治維新(1)五箇条の御誓文」
さて、前回みたように、戊辰戦争が始まると、新政府は外国に対し、混乱を避けるため、天皇を中心とする新政権が成立したことと、幕府が結んだ条約は新政府が引き継ぐことを通告しました。
・また、新政府の方針を外国や日本国民に示しました。これは五箇条の御誓文と言われるものです。これには下の5つのようなことが書いてあります。
①政治のことは会議を開いて、みんなの意見を聞いて決めようね。
②みんなが心を合わ
日本の歴史の流れを簡単にまとめてみた part28「戊辰戦争」
徳川慶喜は、新政府でがんばれるから幕府の政権(政治を動かす力)を朝廷に返したのに、新政府への参加が拒否されてしまいました。
そこで、旧幕府軍(すでに政権を朝廷に返していており幕府は存在しないので、あくまでも旧幕府)は新政府軍と京都の鳥羽伏見で戦いました。
これで勝利した新政府軍は、自らを官軍とし、徳川慶喜を朝廷の敵として戦いを続けました。
そして、西郷隆盛(新政府軍)と勝海舟(旧幕府軍)の交
日本の歴史の流れを簡単にまとめてみた part27 「大政奉還と王政復古の大号令」
欧米にボコられた薩摩と長州は、幕府を倒して欧米に対抗できる強い政権を作るために仲間になりました(薩長同盟)。
そんで明治天皇が即位すると、、薩摩と長州を中心に倒幕を目指す動きが高まりました。
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これに対し、15代将軍徳川慶喜はフランスの助けのもと幕府の権威を立て直そうとしました。
こんな徳川慶喜をみた山内豊重は(土佐藩)、
「この空気感、いったん幕府という政権を手放した方がい
日本の歴史の流れを簡単にまとめてみた part26 「尊王攘夷か公武合体策か」
開国で外国の製品や外国人が日本に入ってきて、物価の値上がり等で庶民や武士の不満が高まり、外国の勢力を退けようとする攘夷論が強くなってきました。
そういうわけで、下級武士が外国人をおそう事件があい次いで起こりました。
そんで欧米諸国は対抗手段として、居留地に軍隊を常駐させようと考えました。
これは日本の危機、植民地化の危機!ということで、外国勢力を排除する攘夷論に朝廷中心の社会を作ろうという尊
日本の歴史の流れを簡単にまとめてみた part25 「開国の影響」
213年ほどの鎖国が終わり開国しました。
ちなみに、この213年の計算方法はというと、
①鎖国の始まりが、オランダ商館を長崎の出島に移したのが1641年
②鎖国の終わりが、日米和親条約を結んだ1854年。
③そんでもって、1854年ー1641年=213年
ということです。
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200年ほど引きこもりが続いて開国しました。200年ほどの日本人だけの生活が終わりを告げました。生
日本の歴史の流れを簡単にまとめてみた part24「開国し、自由な貿易の実現と不平等条約」
さて、前回みたように、日米安保条約が結ばれて日本は開国しました。
が、日本とアメリカが貿易を行うことは決められていません。
そこで、アメリカ人のハリス(初代アメリカ総領事、下田にいた)は、堀田 正睦(老中という幕府では超偉い役職)に通商条約を結んで貿易を行うことを求めました。
幕府は通商条約を結ぶことについて朝廷の同意を得ようとしましたが、*ダメでした。
そこで、井伊直弼(大老という役職で
日本の歴史の流れを簡単にまとめてみた part23「鎖国終了のわけ、アヘン戦争」
江戸幕府は鎖国政策をとりました。つまり、日本人が海外に行ったり、海外と貿易することを禁止しました。1640年あたりです。それから200年くらい鎖国のもとで、そこそこ平和な時代が続きました。
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ところが、江戸幕府は鎖国をやめて開国することになります。
なんでだろう。なんでだろう(古い)。
ちょうどそのころ、中国でアヘン戦争というものがありました。
イギリスでは茶を飲む習慣が広ま
日本の歴史の流れを簡単にまとめてみた part22「江戸時代の生活」
〇農業
新しい田んぼの開発が盛んに行われ、耕地面積は豊臣秀吉の頃の約2倍となりました。
なぜかというと、豊かな生活を望む百姓さんが耕地面積を頑張って増やしたということもあるし、年貢の増収を図る幕府や藩が積極的に田んぼの開発をしたからです。
年貢の増収を図る幕府に対し、百姓は年貢の引き下げなどを訴えて百姓一揆を起こしました。
大阪は幕府や藩の取り立てた年貢米や特産物が運び込まれ「天下の台所