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私は藤井風に対して完全に発狂している(名曲『帰ろう』についての私見)

このnote記事は、藤井風の『帰ろう』という曲についての解説と私見の表明を主な目的とする。


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■目次■

1 導入と概要
  (1) 序文
  (2) 藤井風の概要
  (3) この記事の趣旨
  (4) 『帰ろう』の概要
2 『帰ろう』のここがすごい(“JPOP曲の5大要素”に照らして考える)
  (1) 章の趣旨
  (2) “JPOP曲の5大要素”とは何か
  (3) 『帰ろう』の歌詞
   ・JPOP曲における歌詞の位置づけ
   ・手放す
   ・別れと死
   ・これからどう生きるか
  (4) 『帰ろう』の編曲
   ・編曲の重要性
   ・構成
   ・楽器編成
   ・調性
   ・コード譜
   ・時系列に沿った感想
  (5) 『帰ろう』のメロディ 
   ・良いメロディとはなにか   
   ・技術的な指摘
  (6) 『帰ろう』の歌唱
   ・良い歌唱とはなにか
   ・『帰ろう』の歌唱の全体像
   ・時系列に沿った感想と指摘
  (7) 『帰ろう』を歌う藤井風のヴィジュアル、キャラクター、ストーリー性 
3 『帰ろう』を歌ってみた
  (1) 動画
  (2) 所感
  (3) なぜ歌ってみたのか
4 まとめ
  (1) 今とこれからの藤井風について
  (2) 2020年9月22日放送の報道ステーションにおけるインタビューを受けて
  (3) ここまでを振り返って
  (4) まとめ
最後に(筆者自己紹介)
  



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1 導入

(1) 序文


藤井風はとにかくすごい。すごすぎて、何が起こっているのかずっとわからないままだ。
藤井風という衝撃で、私はまだ動けない。


  *   *   *


(2) 藤井風の概要

藤井風というのは、岡山県出身で、2019年にデビューした若手のシンガーソングライターである。
2020年5月にファーストアルバム『HELP EVER HURT NEVER』を発売し大ヒットを記録した。
つい先日(2020年9月4日)自身初の日本武道館ワンマイライブの開催を発表し、のりに乗っている。

画像3

 

 *   *   *


(3) このnote記事の趣旨

そんな藤井風の作品のなかで『帰ろう』という曲がある。このnote記事は、その曲についての私見を雑多なまま書き留めておくことを目的としたい。一見してお分かりいただけると思うが、私は文章に関しては完全に素人で、このような長文を多くの人に読まれた経験に乏しい。一応、素人に毛が生えた程度の音楽等の知識はあるが、えらそうに語れるほどのものではない。それでも書きたいと思ったので書く。中核は2番目の章「2 『帰ろう』のここがすごい(“JPOP曲5大要素”に照らして考える)」になる。


  *   *   *


(4) 『帰ろう』の概要

『帰ろう』は、前述のファーストアルバム『HELP EVER HURT NEVER』のラストを飾る、いわゆるアルバム曲である。
2020年9月4日にはミュージックビデオがYouTubeにて公開されたばかりである。

ああ。
なんと美しい時間だろう。
藤井風という人間が生のまま発する、優しくも強大なエネルギーに圧倒される。
人はまだこんなにも心を揺さぶるメロディが書けたのか。
こんなにも世界は可能性に満ちたものだったのか!
そんな思いさえ感じる衝撃である。

私はこの曲を聴いて、藤井風の熱狂的なファンになってしまった。
好きなアーティストはたくさんいるが、その中でも藤井風は特別な存在になった。

冗談ではなく、私はこの曲を聴いて頻繁に泣いている。
大人になるまでのさまざまな出来事でボコボコにへこんでしまった魂の、そのへこみ一つ一つにフィットするような音がそこに鳴っているからだ。また、そのような言葉が語られているからだ。

この記事を書いているまさにこの瞬間(2020年9月6日の夕方)、藤井風のYouTubeチャンネルから通知が来た。
藤井風本人が、『帰ろう』という曲とビデオについて語る動画をリリースしたのである。
やはり私と藤井風の魂は繋がっているのかもしれない・・・(さすがにそこまでは思っていないが)

上記がその動画である。
この動画の中で藤井風は、帰ろうという曲について、
 ・神からの贈り物である
 ・「この曲を出すまでは死ねん」と思った
と語っている。
さらにこの曲のテーマについて
  「幸せに死ぬためにはどう生きたらええの?」と自身に問いかける
という内容であるとしている。
このあたりはまた後で触れたい。



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2 『帰ろう』のここがすごい(“JPOP曲5大要素”に照らして考える)


(1) 章の趣旨

『帰ろう』は、完璧な曲だ。
と言ったら大げさになるのかもしれないが、少なくともJPOP曲という枠組みの中では抜群に優れている。
その根拠を、私が考える“JPOP曲の5大要素”に照らして私見として述べていきたい。
ここまでとは違ってなるべく理性的で理論的な内容にしたいと思っている。
なお、どっからどこまでがJPOP曲なのか、JPOP曲とはなんなのかという議論には踏み込まずに進めていくのであしからず。


  *   *   *


(2) “JPOP曲の5大要素”とは何か

前述の“JPOP曲の5大要素”とは、私が勝手に提唱している、JPOP曲の価値尺度である。
すなわち、JPOP曲の価値(良さ)は、次の5つの要素の組み合わせで計れるという考え方である。

 ①歌詞
 ②編曲
 ③メロディ
 ④歌唱
 ⑤ヴィジュアル、キャラクター、ストーリー性 

音楽の価値尺度は他にもいろいろあると思うが、JPOP曲を評価するにあたってはこれらが重要な要素であると思う。
つまり、①歌詞が良くて、②編曲もかっこよくて、③メロディも素敵で、④歌がいいかんじで、⑤見た目とか曲に付随してる情報も良い。
そんな曲が、「良い曲」であるという考え方である。
そういうわけで、『帰ろう』についての私見を、これらの5つの要素に照らしながらそれぞれ述べていきたい。


  *   *   *


(3) 『帰ろう』の歌詞

『帰ろう』は、歌詞がすばらしい、という話をする。


  ・JPOP曲における歌詞の位置づけ

歌詞はJPOP曲の最重要ファクターである。
みんなJPOP曲の何を聴いているかといえば、歌詞を聴いているのである。それだけ重要だ。
一般に、優れた歌詞には一貫したテーマやメッセージがあると私は考えている。
別に、そのテーマやメッセージ自体が高尚である必要はないが、全体を見たときに貫かれている芯がないと優れた歌詞とはいえない。


  ・『帰ろう』の歌詞のテーマ

『帰ろう』の歌詞には貫かれているテーマがある。
それを端的に語るとすれば次のようになると思う。

 1、傷、渇き、憎しみ、そして過去への執着を感謝と共に手放そう。
 2、この世を去るとき、執着は無意味だ。
 3、あなたはどう生きるか。


  ・キーワード「手放す

最重要のキーワードは「手放す」である。(以下カギカッコ内は歌詞の引用

「もうどうでもいいの 吹き飛ばそう」
「わたしが先に 忘れよう」
「何も持たずに帰ろう」
「一つ一つ 荷物 手放そう」

これらのフレーズはいずれも、手放すことに関係するか、近い意味のことを言っている。
手放す対象は、「傷」「渇き」「憎み合い」というネガティブな「荷物」である。
「わたし」自身も時には「未練」に囚われることもあるが、
「去り際の時」、つまり死ぬときは「何も持っていない」のだから
それらの「荷物」は無意味だと気づき「忘れて」「流して」いくことで、「手放そう」と、
強烈なメッセージを放っている。

そのメッセージは、曲中、「少年」に対しても語られている
おそらくこの少年は藤井風自身で、声をかけているのは藤井風のハイヤーセルフ(達観したもう一人の自分)であろう。
5時の鐘(夕方の帰宅を促すチャイム)が聞こえない少年は、「瞳は汚れ」(ネガティブな荷物にとらわれて)「帰」ることを忘れている。
「それじゃ それじゃ まるで
全部 終わったみたいだね
大間違い 先は長い 忘れないから」
この辺は、譜割り(音楽的な都合)のせいで少々言葉足らずにも聞こえるが、実は結構厳しいことを言っている。
それは“ネガティブな荷物に囚われた状態は、何もかも終わりと感じられるような絶望かもしれないが、未来に目を向けよう。”というメッセージだ(前を向くことは時に難しい)。
また、「大間違い」と、強い言葉で否定していることから、「先は長い」というのも “そのままではネガティブな苦しみがずっと続いてしまうよ” とたしなめているような印象を受ける。
なぜネガティブなものにとらわれてしまうのか? それは、ネガティブな荷物を「忘れないから」である。とらわれて、抱えてしまって、なかなか手放せないのである。
だから、このパートは、とらわれの鎖を断ち切ろう、「全て忘れて帰ろう」「わたしが先に忘れよう」というメッセージに繋がるのである。
(この部分、特に「忘れないから」は意見の分かれるところだと思う。私の解釈では、「忘れ」るという言葉はサビでタイトル「帰ろう」と結びつくかなり重要なワードなので、サビと意味内容を揃え、「手放」すなどと同義か近い意味の言葉と考えた。“そんな重要なワードを同じ歌詞のなかで違う意味で使うはずがない“、という想定が一応の根拠である。)


  ・キーワード「別れ

次に重要なキーワードは「別れ」である。
これは自分の死のことを言っている。
「手放」すことと近いニュアンスであることからもわかるとおり、この曲のなかでは「別れ」はあまりネガティブなものとしては描かれていない。
「それが運命だね」と、あっさりした感じだ。
「国道沿い前で別れ
続く町の喧騒 後目に一人行く」
というようなものだと、自分の死を捉えているのだろう。
「怖くはない 失うものなどない」。だって、自分が死んでも「何一つ 変わらず回るから」。
その気づきこそ、またひとつ「荷物」を「手放」すことであり、「少し背中が軽くなった」出来事のひとつなのである。執着を「手放」す具体例が語られている。


  ・キーフレーズ「今日からどう生きてこう

このフレーズは、曲の締めくくりである。
1行だけであるが、大きな意味を持っている。
この1行によって、それまで語られたことの全てがリアルになる。
藤井風が自身のことをリアルに語っていたことが明らかになるし、リスナーは語られたことを自分自身のこととして考えることができるようになる。
なんて素敵な仕掛けだろう。
誰しも「傷」や「渇き」を抱えている。
「去り際の時」にどう振舞うか? その時まで何を抱えていくか? あるいは「手放」すか? そういったことを、藤井風は自身に、そして我々に問いかける。
答えは自分で見つけるしかない。


  ・藤井風は完璧な人間?

そんなにえらそうなことを言って、藤井風はそんな完璧な人間なのか?
いやいや、そんなことはない。
藤井風は瞳が汚れた「少年」であり、「未練こぼして」(=過去に執着して)しまう(「わたしは未練こぼして」に対するミュージックビデオの英語字幕は「I am still attached to the past」だ)、
「渇き」(欲望)が癒えないで「ください ください ばっか」の、ただの「人間だ」ということを自ら歌詞中で認めている。
われわれや、他のみんなと大差ない存在なのだ。
そんな彼が「わたしが先に忘れよう」と、われわれと同じ目線から言ってくれている。
別に「生きてきた意味」だとか、人生の目的とかがはっきりわかっているわけではないただの「人間」の目線だ。
だからこそ、リアルで価値があるメッセージを感じ取れる。


  ・節のまとめ

以上見てきたように、『帰ろう』の歌詞には一貫したテーマがあり、
そのテーマが胸を打つ内容になっていることがお分かりいただけただろう。


  *   *   *


(4) 『帰ろう』の編曲

『帰ろう』は編曲もすばらしい、という話をする。
なお、私はきちんと勉強した専門家ではないので用語や解釈は間違いがあるかもしれないことを断っておく。

編曲とは、歌の伴奏を決める作業のことである。
編曲はJPOP曲においてかなり重要なファクターである。
編曲次第で、その曲の輝きが決まるといっても過言ではない。その曲がダサいかカッコいいかは編曲によって決まる。
なおここで“JPOP5の大要素“のひとつとして挙げている編曲という言葉は、通常の意味の編曲に加えて、コードワークや和声、演奏、音質やサウンドなども含む割と広い概念と承知願いたい。


   ・『帰ろう』の構成

まずは全体の構成を見ていこう。

イントロ
1番Aメロ(あなたは夕日に溶けて~)
1番Aメロ´(あなたは灯ともして~)
1番Bメロ(それじゃ~)
1番サビ(ああ 全て忘れて帰ろう~)
間奏前半
間奏後半
2番Aメロ(あなたは弱音を吐いて~)
2番Aメロ´(わたしのいない世界を~)
2番Bメロ(それじゃ~)
2番サビ(ああ 全て与えて帰ろう~)
2番サビ´(憎み合いの果てに何が生まれるの~)
アウトロ


一般的にAABC構成と呼ばれるような(たぶん)、非常にシンプルな構成である。

次に使用されている楽器を見てみよう。
ざっくり書くと、


ピアノ
ベース
ドラム
パーカッション類
ストリングス

くらいだと思う。これまた非常にシンプルだ。
このように構成や楽器編成がシンプルでも曲が成立するのは、この曲が非常に優れたメロディを持っているからだと思う。
メロディについては後述。

上記2つの動画はどちらもミュージックビデオの予告編である。
どちらもストリングス(バイオリンなどのクラシカルな弦楽器隊)をフィーチャーしている。
この曲において、ストリングスは非常に重要である。

他の編曲の特徴としてはハモリがないくらいだろうか。
一般のJPOP曲は感覚的に9割くらいの曲でボーカルのハモリが入るが、『帰ろう』ではまったくない(ただし、サビで一部薄くオクターブユニゾンが入る)。
これも、メロディや言葉に自信があるが故の“引き算”だと思われる。(なお補足だが、『HELP EVER HURT NEVER』の曲の中で、『帰ろう』と同様にハモりがない曲はあと3曲ある。比較的高い割合だ。藤井風、プロデューサー、編曲家の趣味が反映されているかもしれない。あるいはそれが昨今の流行なのかもしれない。)


  ・調性

調性(キー)は、Aメジャー(イ長調)とCメジャー(ハ長調)を行き来している。
先ほどの構成に合わせて見てみよう。

(■=Aメジャー □=Cメジャー)
■イントロ
■1番Aメロ
■1番Aメロ´
□1番Bメロ
■1番サビ
■間奏前半
□間奏後半
■2番Aメロ
■2番Aメロ´
□2番Bメロ
■2番サビ
■2番サビ´
■アウトロ

これがすごい。
いや、AメジャーにとってCメジャーは「短三度上」の関係にあって(同主調への転調と同じ)短三度上への転調はJPOPにおいて頻出なのでそれ自体がすごいわけではないのだけど、その仕方がすごい。
□が3回も出てくるということは、■と□が切り替わる箇所が6箇所あるということで、それすなわちこの曲中で6回も転調しているということだ。
おそらく、多くの人は転調していることすらあまり意識が向かないのではないだろうか。
転調を自然に行うには、編曲とメロディの工夫が不可欠であるが、とりわけメロディの工夫がすばらしい。
これも後に触れることにする。


  ・コード

私の耳コピによる。

イントロ
| DM7  C#m7 | Bm7  Bm7/E |
| DM7  C#m7 | Bm7 Bm7/E|

Aメロ
| AM7 | DM7 |  E7 |  F#m7 Em7M6|
| DM7M9 | C#m7 CM7 |  Bm7 C#m7 | Dm7M9 E7M9 E7-9|
| AM7 |  DM7  |  E7 | F#m7 A7/E |
|  DM7M9 |  C#m7  CM7 | Bm7 |  Bm7/E E7 |

Bメロ
| FM7M9|  Em7   Am11 | Dm7M9  Dm7/G | CM7  C/G F#m7-5|
| FM7 | Em7 Am11 | Dm7 Am/C  | Bm7 Em7 A7-9  |

サビ
| DM7  | C#m7 F#7  | Bm7  | Bm7/E A9 D#m7-5 |
| DM7   | C#m7 F#7-9 |   Bm7 |  Em7 A7 |
| DM7 |  C#m7 F#7  | Bm7  | Bm7/E A D#m7-5 | 
| DM7  | C#m7 C#7/F F#m C7M6M9 | Bm7  | E D#7-5 |

間奏
| DM7 C#m7  | Bm7 E |
| FM7  | Em7 |  D#M7 |  Dm7 G E | 

勢いで書き取ったため正確さは保証しない。やや複雑に表記したが、ベース(基礎)の部分は比較的オーソドックスで単純な進行である。


  ・時系列にしたがった感想

■イントロ
美しいリフレインだ。
藤井風はピアノがうまい。
4番目のコードをⅡm/Ⅴのオンコードにするあたりツボを押さえている。

■1番Aメロ (鳴っている楽器:歌、ピアノ)
シンプルなトニックから始まり、4番目のコードまでは極めて基本的なコード(Ⅰ→Ⅳ→Ⅴ→Ⅵ)。
5小節目の後半あたりから複雑でおいしいコードがどんどん盛り込まれてきて今後の展開を期待させる。
ここまで歌とピアノだけの弾き語り的構成。

■1番Aメロ´ (鳴っている楽器:歌、ピアノ、ストリングス、シェイカー)
シェイカーが入ってきて、4部音符のビート感がより足される。
同時にストリングスが全音符で控えめに入ってくる。徐々に高い音、強い音になって展開を盛り上げている。


■1番Bメロ (鳴っている楽器:歌、ピアノ、ストリングス、シェイカー)
突然走り出すようなBメロ。ピアノが8部音符になってよりビート感が増していく。シェイカーは16部音符、32部音符を織り交ぜてさらに細かくなる。
転調が非常に効果的で、思考がめぐっていく感覚を音を介して脳にインストールしているかのようだ。
歌詞が暗黒期に陥っていく自分を描いているのに合わせて、緊張感を表現している。
バイオリンのピチカートが特徴的な音として印象に残る。
楽器編成は変わらない。
「大間違い 先は長い」の7小節目でシェイカーとピアノが止まる! ハッと息を呑んで振り返るような空白、
その隙間を駆け上がる美しいメロディ。それはクライックスたるサビへ飛び立つ。その滑走路をクリアリングするかのように歌以外の楽器たちは道を空ける。

■1番サビ (鳴っている楽器:歌、ピアノ、ストリングス)
シンバルロールで幕を開ける。なんと感動的なサビだろう。思わず天を仰いでしまう。異国の高い山で急に開けた景色のようにさわやかだ。短調から長調への転調が光となって我々を照らす。ストリングスが伸びやかだ。ストリングス隊の音域が広くなってダイナミクスが効いている。ポイントは、歌を決して邪魔しないということだ。高いストリングスがVに対する♭9など、おいしいテンションを随時入れている。美しい。

■間奏前半 (鳴っている楽器:ピアノ)
イントロのリフレイン。ふっと風がやむような束の間。

■間奏後半 (鳴っている楽器:歌、ピアノ、ストリングス、シェイカー、ベース、ドラム)
リズム隊(ベースとドラム)が入ってきて、全員そろった形。
調性の記述で触れたが、地味に転調している。『帰ろう』のようなトニック始まりで王道進行の曲はこのように間奏で転調や借用を入れるとダレずに引き締まる。

■2番Aメロ (鳴っている楽器:歌、ピアノ、シェイカー、ベース、ドラム)
ストリングスがいなくなって、シンプルなバンド的編成。
ベースは空白が多くメリハリのある演奏。
ドラムは打ち込みっぽい雰囲気。2拍目4拍目はクローズドリムショットでタイトな演出。
ピアノのプレイが1番とは違い歯切れの良いリズムになっている点も見逃せない。ピアノがうますぎる。

■2番Aメロ´ (鳴っている楽器:歌、ピアノ、ストリングス、シェイカー、ベース、ドラム)
ストリングスがまたも控えめにイン。他のバンドはそのまま演奏を続けている。
持論だが、2番AメロはJPOP曲の中では特に重要なパートのひとつであり、作編曲の腕が問われる部分であると思う。1番と変化を付けて飽きさせないことが求められる。

■2番Bメロ (鳴っている楽器: 歌、ピアノ、ストリングス、シェイカー、ベース、ドラム)
1番のときのようには大きく雰囲気は変わらず、バンド全体のテンションは保ったままBメロへ突入。
しかし、ベースは空白を取る演奏をやめ、8部音符の連打でピアノと一緒に新たなリズムを作っている。
Bメロ冒頭でストリングスはピチカート奏法のみ。レガート奏法でのストリングスは7小節目でようやく再登場しあの感動的なサビへ一気にテンションを高めていく。
ドラムもキックは落ち着いたままで、徐々にタムやシンバルの手数を増やしテンションを高めていく。
最後「生きてきた意味なんかわからないまま」。最後の1拍でスネアの連打(タタタタ)が決定的にサビへの突入を示唆。曲がクライマックスに至る合図である。

■2番サビ (鳴っている楽器: 歌、ピアノ、ストリングス、シェイカー、ベース、ドラム)
歌が「ああ」と言い、他の楽器全ても同時に「ああ」と言う。全ての音が歌と一体に鳴っている。
全ての楽器が曲中で最高のテンションを発揮している。
しかし、歌を妨げるものが何もない。
ボーカルにはオクターブ上の音が重ねられて強化されている。
ベースは適宜オカズを入れながらもしっかり下支えするプレイ。
ドラムはスネアをオープンにしてのびのびとした演奏だ。
「一つ一つ 荷物 手放そう」という、この曲でもっとも重要なフレーズに合わせてバンドがリズムを合わせる。


■2番サビ´ (鳴っている楽器: 歌、ピアノ、ストリングス、シェイカー、ベース、ドラム)
「憎み合いの果てに」で、1小節の間、「何が生まれるの」でドラムが怒涛の6連符。
「先に忘れよう」で再び1小節の間、スキャットとバンド全体のキメ。忙しい展開だ。
「今日からどう生きてこう」で演奏をやめるバンドたち、歌の余韻が残る見事な去り際。
イントロと同じくピアノだけのリフレイン(タイトルのように、「帰」ってきたのである)。
最後は甘いメジャーセブンスの響きでフィナーレとなる(6thの音も入っている)。


  ・節のまとめ

以上、見てきたように、『帰ろう』の編曲は、
歌を引き立たせるさまざまな仕掛けがあり、優れている。


 *   *   *


(5) 『帰ろう』のメロディ

『帰ろう』は、メロディがとてもすばらしいという話をする。
導入でも少し触れたが、この曲のメロディはすさまじい。


  ・良いメロディとはなにか

実を言うと、JPOP曲においてメロディはそこまで重要な要素ではない。
メロディが優れていない曲でも、他の要素が優れていれば十分「良い曲」として認識することは可能である。
その上で、『帰ろう』のメロディを評価すると、これはもう、本当にすばらしい。
メロディというものは所詮ただの波である。高いか低いかの組み合わせである。
いろんな高さの音を、時間という帯の上に並べてきれいな波を描けるかという営みなのである。
私は、はっきりいってて良いメロディというものがどういうものなのかわからない。
『帰ろう』のメロディ全体について、私が言えることがあるとすれば、全体がダイナミックできれいな波を描いているということと、
多少の知識から技術的な点を指摘することくらいだ。
それでも、『帰ろう』のメロディがどれだけきれいな波を描いているかということを伝えたくて、この文章を書いている。
サビのソーーファミレドシドレソラーーソーが如何に美しい波なのかを伝えたい。
が、こればっかりは聴いてもらうしかない。
あるいは楽譜を買って見てもらうか・・・
とにかく、人は、藤井風は、その美しい波を生み出すことができる。
そして聞き手である我々はその波の動きに心を揺さぶられて涙する。
なんて不思議なんだろう。そして、なんて可能性に満ちているんだろう。
確率論的に言えば、人類がこれまで生み出してきたメロディは、宇宙に存在しうるメロディのまだほんの一部だろう。
その中の一筋を藤井風は見つけた。そして我々はそれを、藤井風という鏡に反射する光として見つけたのである。


感傷的な記述はこれくらいにして、技術的な指摘を軽く行いたい。

スクリーンショット (27)

以上のように慣れない音符を久しぶりに書いてみて改めて思ったが、私はさして音楽理論に明るくない。
したがって高度な説明はできない。
Bメロからサビへの流れが、大体上の画像に示したとおりに技術的に優れている。
先ほど述べた「美しい波」は、もしかしたら以上の楽譜の音符の黒丸をたどることでも感じられるかもしれない。

なお、転調のEm7→A7→D△7という動きは、いわゆるツーファイブをサブドミナントへの進行へ応用したものであり、
D△7への引力が非常に強い。自然な転調に一役買っている。
(余談だが、この進行をaikoはかなり頻繁に使用しており、私の調べによると約9割という驚くべき割合でこれを自身の曲に使用している)


 *   *   *


(6) 『帰ろう』の歌唱

『帰ろう』は、歌唱が素晴らしい、という話をする。

JPOP曲において、歌唱はかなり重要な要素だ。
ここでいう歌唱とは、「どの声がどのように歌うか」という問題のことを言う。
一般に、「ライブバージョンで大変感動した。」とか「歌番組で聴いたらいまいちだった。」などはよくある感想である。
同じ曲(歌詞、メロディ、コード)、同じ編曲でも、歌唱によって全体的な良さは左右されるということが言えるだろう。


  ・“良い歌唱”とは何か

“良い歌唱”とはどのような歌唱だろうか。
私が思うに、

①声の個性が生かされ
②表現が豊かで
③コントロールとテクニックがある 

という条件を満たすのが歌だと思う。

まず、声の個性について。
無論、声は千差万別で、誰しも違う声を持っているが、強烈な個性が表れる歌には誰もかなわない。
声に個性がある人は、何を歌ってもそれを“自分の曲”として歌うことができる。
まるでファッションを着こなすように、最初からその人にフィットするように作られたと錯覚してしまうほどに曲を着こなしてしまう。
10代のころからYouTubeにカバー動画をあげ続けている藤井風については、もはやこの点は説明不要かもしれない。
藤井風のカバーはどれも藤井風の曲に聞こえる。
なお、声の個性には声色だけでなく歌唱の方法も含まれるので、必ずしも先天的なものではない。
が、藤井風のようなビッグバンに出会うと、どうしても天性の才能の一部に声の個性が組み込まれているように感じる。

次に、表現の豊かさについて。
表現の豊かさは、二通りのアプローチがあると思われる。
第一に、見せ方が上手い場合。
簡単に例えるなら、悲しい歌を歌うときに悲しそうな声をうまく出せるということである。
第二に、感受性が高い場合。
例えば、悲しい歌を歌うときに本当に悲しい気持ちになることができるということである。
多くの人は前者に努め、それなりの結果を出す。
が、まれに後者がきわまって、魂と声が繋がっているような歌を歌う人がいる。
そのような歌に触れられることは本当に幸せである。

次に、コントロールとテクニックについて。
前提としてJPOP曲は音律や音階から逃れられないので、原則的に音程を正確にコントロールすることが求められる。
が、例外はいくらでもある。
むしろ、ピッチ(音程)は合っていればよいというものではなく、正確さに緩急をつけて、要所であえてハズしたり、
全体的にあまりピッチが合っていなくても“ここぞ”というところではピタリと合わせるようなカンのよさによって、不正確さを補うようなやりかたがうまくいくことが多い。
テクニックについては、表現の豊かさと重なるところがあるが、巧みにやる人もいれば自然とこなす人もいるという感じである。


・『帰ろう』の歌唱の全体像

先ほど提示した基準に照らすと、『帰ろう』の歌唱は、声の個性や表現の豊かさが十分に発揮され、コントロールやテクニックも申し分のない、優れた歌唱だということができよう。
藤井風は『帰ろう』を完全に自分の歌として歌っている。
当たり前のようであるが、当たり前ではない。
要はほかの誰が『帰ろう』を、歌っても藤井風にはかなわないということである。
尾田栄一郎っぽく描いたルフィとか、村上春樹っぽく書いた「やれやれ」が本人にかないっこないというのと同じである(あまり良い例が思いつかなかった。)
表現の豊かさもすばらしい。これは部分を具体的に指摘したほうが説明しやすいので次の項目で時系列に従って解説する。
テクニックやコントロールも同様に具体的に指摘していく。


・時系列に従った感想

■Aメロ 
息を混ぜた囁くような歌唱。
思いのほか弱く歌わないとこの感じにはならない。
ア行の発音に癖をつけて歌っているのが藤井風っぽい。
最初はオンタイムのリズムで歌っているが「交わらないのなら」で少しモタらせていて、藤井風に特徴的な後ろノリの片鱗が見える。 

■1番Aメロ後半
少し声量が上がる。シェイカーに合わせて歌唱のリズムはよりタイトになる。単調にならないよう、緩急をつけて遊んでいる。「求めて」「失うものなどない」「持ってない」の要所で強弱をつけてメリハリや展開を演出している。こういう力を私は表現力と呼んでいる。

■1番Bメロ
伴奏が8ビート主体に、歌唱が16音符主体に変わったのを受けて、軽やかなリズムで歌っている。
たとえばこのあたりを「それじゃ~~それじゃ~ま~た~ね~」とレガート風に歌った場合はこの良さは出ないだろう。
割と早いパッセージなので個人的にはちょっと難しいと思う部分だ。
「響けども」の「も」で若干ピッチがシャープぎみ揺らいでいる。つまり音程が完全に正確というわけではないが、この揺らぎは心地よい揺らぎだ。
ちょっとブルースっぽいニュアンスが足されているというふうに、好意的に捉えられる揺らぎである。
「大間違い 先は長い 忘れないから」の「ら」。これまで出てきた中で最高音で、最も口を開く“ア”の音で、声が響いている。

■1番サビ
「ああ」。「ら」から一息続きでEの音が連なるロングトーン。前述したが、藤井風は“ア”の発音に癖がある。
伸びやかで太くさえぎるものが何もない、一番得意な音を伸ばしているような印象を受ける。
「忘れて帰ろう」で声を張っているところも良い…
「あの傷は疼けど この渇き癒えねど」の「ず」「え」で引きずるようなモタりを作っているのも
彼が抱える“痛み”の表現として優れている。
「吹き飛ばそう」の「ば」はF#でこの曲の地声でのほぼ最高音。また“ア”の音だ。まさに吹き飛ばすような突き抜ける発声。
言葉を身体の操作によって表現している様子が音として録音されている。
メロディの構造にも言及すると、直前の「と」の低い音から長9度離れた「ば」への跳躍も吹き飛ばすようなニュアンスを作っている。
「さわやかな」の「さ」。また“ア”の音だ。以後ずっとサビの頭と9小節目は“ア”の音のロングトーンだ。
「風と帰ろう」。1周目とは違って甘い裏声! 「さわやかな風」という言葉のとおりではないか。
魂と言葉と声が繋がっている。
「優しく降る雨」の「さ」のモタり、「雨と帰ろう」の「う」の装飾音符も1周目と違うニュアンスを作っていてうまい。
「憎み合いの果てに何が生まれるの」はグリッサンドを多用している(という言い方でいいのかわからないが)歌い方で、
音符同士がネットリ繋がるようなスタイルだ。
「生まれるの」の裏声は曲中の最高音。
その次の「私」は、もうテクニックとかの話ではないが、よい。言い方がカッコイイ。
「私が先に忘れよう」は、さっきまで張っていた声と打って変わってリラックスした歌いまわしだ。
語尾の「う」は移動ド表記でドの音で終わっているが、終わりに小さいラがついている。
実はこの“ドを伸ばしてラがついてくる”歌い方はこの曲では何度も出てくるが、いちいち指摘するとキリがないからここだけにしておく。
これをやるとR&Bっぽい感じがでてかっこいい。宇多田ヒカルとかもよくやっている。

■2番Aメロ前半
リラックスした雰囲気はあるものの1番Aメロよりは強めの発声だ。
2番のAメロは全体的にフェイク(即興でメロディを変えた歌い方)をつけて自由に歌っている。
「こぼして」、
「最後くらい」、
「私のいない世界を」「眺めていても」の語尾なんかがそうだ。
歌唱だけをとっても1番とまったく同じではなく飽きさせない構成を作れるボーカリストとしての力量を感じさせる。
「何一つ」と「変わらず回るから」の強弱のギャップもセクシーでよい。

■2番Bメロ
「一人行く」で1番と同じ音程の揺らぎ。1番よりもより意図的にやっている感じがする。
「わからないまま」→「ああ」は、再三指摘している“ア”の音の登場だ。

■2番サビ
「ああ」が響きわたる。
伸びやかな歌唱。
1番サビと多少メロディを変えて歌っているので次をご覧いただきたい。

画像2

青で示した音符及び休符が主な1番との差異である。
歌詞の都合もあって多少変わっている。
特に着目していただきたいのは、赤線で示した部分だ。
ここだ。
私が藤井風ボーカリストとしての才能を最も感じるのはこの部分である。
“この曲の最も好きな所は” ともし尋ねられたなら、ここだと答える。
「胸を張ろう」の歌いまわし、スキャット、フェイク、言い方は何でもいいが、この瞬間のこの歌が好きすぎる。
注意深く聴いてもらいたい。
この力強さ。美しさ。言葉に付与される説得力。
「ありがとうって胸を張ろう」という言葉がどう聞こえるか。
単純な"ラ→ソ"のメロディを歌いまわしだけでここまでブルージーに聞かせるのは只者ではない。
この部分は本当に半端じゃない、ものすごい歌唱だと思う。
同時にメロディメイカーとしての気質も感じさせる。一般にスキャットやフェイクができる人はメロディを作れる人だと言われることがあるからである。

次に移ろう。
「待ってるからさ もう帰ろう」、頭は当然“ア”の音だ。「もう帰ろう」の裏声は1番と同じ。
「幸せ絶えぬ」の「あ」の遅れも1番と同じだ。心なしか1番よりタメが強くなっている気もする。
その後、「憎み合いの果てに何が生まれるの」の「れる」は、地声でこの曲の最高音だ(G#→A)。
登場が三回目になるメロディだが裏声ではなく声を張ることでクライマックスを演出している。
「私 私が先に 忘れよう」 切ない感情がこもっている。
軽いスキャットが入る。低いレで締めているのがかっこいい
「ああ 今日からどう生きてこう」
冒頭1番Aメロと同じようなささやく声に“帰る”ことで歌が締めくくりになる。


 *   *   *


(7) 『帰ろう』を歌う藤井風のヴィジュアル、キャラクター、ストーリー性

これについては軽く触れる程度にする。そこまで詳しくないからである。


  ・そもそもヴィジュアル、キャラクター、ストーリー性は曲の良さに関係あるのか?

ヴィジュアル、キャラクター、ストーリー性は、いずれも直接的に音を構成していないので、
厳密には音楽の要素ではない。
しかしJPOP曲においてそれらは重要である。なぜなら、JPOP曲は、厳密な意味での音楽だけを楽しむものではなく、
もっと総合的なエンターテイメントだからである。
曲の作り手や売り手は、当然にヴィジュアル、キャラクター、ストーリー性を曲と併せて発信をしているからして、
我々もそれらを作品の一部と考えて一緒に鑑賞するのが正しい態度だと私は考える。
例えばあるレストランの価値を評価する場合、その料理の味だけでなく、外観、内装、サービス、盛り付け、空調やBGMなども評価の対象になるだろう。
同じようにJPOP曲を評価するにあたっても、どんな顔でどんな背景を持った人がどんな服を着てどんな動きで歌っていて、どんなジャケットで、どんなビデオで… といった、曲と同時に発信されている要素を全て受け入れて作品の要素として考えるべきだ。
さらに例えると、椎名林檎の『本能』はナース服でガラスを割っているあのヴィジュアルがあるから記憶に残るし、サカナクションの『新宝島』はあのビデオがあるからこそあのキャッチーな感じがするし、Perfumeの曲はあの経歴をもつあの3人があのダンスで歌っているからこそ輝く。


で、藤井風ヴィジュアル、キャラクター、ストーリー性だが、それらを知るならこれを見るのがわかりやすいだろう

経歴を要約すると、
・岡山県("Very country side of Japan" )で子供のころからピアノを演奏していた
・小学生のころからカバー動画などをYouTubeに上げ始めた
・2019年に渡米、帰国、アルバム製作
・2020年5月にファーストアルバム発表

こんなところだろうか。

藤井風は見た目もカッコイイし、信念がある

この映像で垣間見える彼の信念や思想やライフスタイルに共感するし、憧れる。

この節に書きたいことがまだある気もするが、出てこない。
要は、曲だけでなく人物も素晴らしいということが言いたいだけだ。
私は藤井風のようになりたいと思う。



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3 『帰ろう』を歌ってみた


(1) 動画

 *   *   *


(2) 所感

『帰ろう』を歌った。本日(2020年9月22日)撮影した。
藤井風のほかの曲ほどではないが、難しい。
声の緩急やBメロの早いパッセージがなかなか上手く歌えない。また、サビで息がなくなり、のびのびと歌えない。
良い曲だ。
いつか藤井風本人と一緒にこの曲を歌いたい。 


*   *   *

(3) なぜ歌ってみたのか 

(2020年9月23日追記)
補足が必要と思ったので追記する。
なぜこのnote記事の中で『帰ろう』のカバーをやったかと言うと、主に四つの理由がある。
ひとつは、自らやってみることで理解が深まることがあるからである。『帰ろう』という曲を理解するための実践である。実際に、カバーをやるためにより曲をより注意深く聞くことになるし、歌ってみた自分との距離を測ることで藤井風のすごさがわかることもある。少なくとも私にとって、曲と向き合う過程で、これを自ら歌ってみることは必要だった。
ふたつめは、このカバー動画自体が私の曲に対する意見やスタンスの表明になると思ったからである。このnote記事を書くために、やるだけのことをやりたかったからである。このnote記事の趣旨は、さまざまな観点から私の『帰ろう』という曲に対する私見を述べることにある。であるならば、“自ら歌う”という方法で曲に対する解釈を示すのも、私見を示すひとつのやりかたとして成立し得ると思う。
みっつめは、藤井風本人に対するリスペクトの表明である。文中でも触れているが、藤井風はカバー動画をユーチューブに上げ続ける活動を行い、実力をつけ、人々の目に留まるようになっていった。藤井風の経歴を語る上でカバーは外せない要素だ。その藤井風の曲を、カバーすることは、意味がある。カバーをずっと行ってきたという彼の行為自体に敬意を表し、カバーしている。なお、ファンには説明不要かもしれないが、あえてタネをばらすと、LPを中心に配置していること、鍵盤が見えていること、左からのアングルで取っていることもリスペクトの表明だ。
よっつめは、上で言った“いつか藤井風本人と一緒にこの曲を歌いたい。”ということについて、私は本気だからである。絵空事だと思うだろうか。私はこのnote記事を、藤井風本人や、藤井風の製作やプロモーション等にかかわる方々も読むことを想定して書いている。このnote記事や上の動画が彼らの目に留まり、めぐりめぐっていつか“藤井風本人と一緒にこの曲を歌いたい”という夢が叶うことをまったく諦めていないからである。このnote記事と上の動画はその第一歩だ。

なお、素人である私のこの演奏や歌唱自体には、それほど価値があるとは思っていない。だいたい、ユーチューブに蔓延している素人のカバー動画などというものはそんなものだ。厳しく言えば、“弾き語り”という言葉を免罪符にして、他人の曲をテクニックも工夫もなく自己顕示の道具とすることが横行している。だが、それでもなお、歌には可能性がある。たとえ下手だろうが、他人の曲だろうが、自己顕示だろうがなんだってよく、その人がただ歌うだけで、その曲が誰かにとって輝いて見えるということは起こり得る。要は誰かにとって良く響けばそれでいい。私のつたないカバーにも、そのような可能性はあると信じている。これも、私がこのnote記事の中でカバー動画を実践したことの理由の一つになるかもしれない。




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4 まとめ


(1) 今とこれからの藤井風について

藤井風についてのホットなニュースは3つある。ひとつは、序盤で触れたように、武道館のライブ開催が決定したことだ。このnote記事の公開日となる2020年9月22日は、その第一弾来場チケット受付の締切日である。本日23時59分まで申し込みが可能だそうだ。また、同月28日からは第二段の申し込みがあり、またこれらの申し込みと平行してライブ配信チケットの受付も行われている。
私は絶対に絶対に絶対に武道館で藤井風を見るつもりだ。絶対にだ。
ふたつめは、ファーストアルバム『HELP EVER HURT NEVER』のLPが2020年9月23日に発売になることだ。先ほどの私が『帰ろう』の動画の背景に飾っていたように、私は既に手に入れている。今日Amazonから届いたのだ。早速きいてみたが、本当に驚くほど良い。私はちょうど今年からアナログレコードを買うことにハマりだしたので、LPの発売は非常にタイムリーでうれしかった。再生してみると、ピアノ、ベース、ドラムの金物系に差を感じる。特にピアノだ。藤井風の曲は、ピアノから始まるものが多い。イントロから一気に心をつかまれる割合が上がったように感じる。少々高いが、ファングッズとしてはおすすめである。
みっつめは、ピアノスコア(楽譜)が発売になることである。これは2020年9月30日発売が予定されている。私はピアノを弾けないが、すぐに予約した。以上が現時点でのホットなニュースだ。
これからの藤井風は、どんな存在になっていくだろう。なんとなくであるが、次回作のセカンドアルバムがリリースされるまでさほど時間がかからないような気がする。これまたなんとなくであるが、2年位したらLAあたりに移住する気がする。とにかくまだまだ売れると思う。今後が非常に楽しみだ。

(2020年9月23日追記)
よっつめとなるホットなニュースを忘れていたので追記する。このnote記事の公開日である2020年9月22日、藤井風がテレビ地上波に現れた。テレビ朝日の番組『報道ステーション』において、藤井風に対する独占取材が行われた。これまで藤井風にきちんとインタビューを行ったものはおらず、報道ステーションが初めて迫ったそうだ。特集は約10分間で、なんと、このnote記事と同じく『帰ろう』という曲をフィーチャーした内容となっていたから驚きだ。『帰ろう』の弾き語りが披露されたり、曲に対するリスナーの反応が紹介されたりしていた。この番組をみて、藤井風に興味が出た方も多かっただろう。
また、報道ステーションは、“特別ロングバージョン”の動画を本日(2020年9月23日)公開した。“限定公開”とのことなので、放送を見逃した方はぜひご覧いただきたい。


 *   *   *


(2) 2020年9月22日放送の報道ステーションにおけるインタビューを受けて

(2020年9月23日追記)
このインタビューの中で、藤井風は次のように語っている。

死ぬときのことを考えるのは全然
ネガティブな話とか怖い話じゃなくて
死ぬっていうか
帰るときのことを考えることが
じゃあ今 どうやって生きていけばええか
考えるきっかけになるし
より良い今を みんな
生きていけるんじゃないかなと思う

これらのコメントは先ほど “(3) 『帰ろう』の歌詞” で語った “『帰ろう』の歌詞のテーマ” の内容と、非常に近い。このコメントがどういう文脈から出てきたものか正確なところはわからないが、少なくとも動画を素直に見る限りでは、自身の活動のスタンスについて話している場面である。『帰ろう』で語られているメッセージは、藤井風自身の音楽人生だけでなく、人生そのもののことまで("not only my music life, but my entire life")関わる、とても重要なものだということが改めて明らかになったように思う。


 *   *   *


(3) ここまでを振り返って

『帰ろう』について、いくつかの観点から持論を語ったり、解説したりした。
正直に言って、たいして見返してないし、このまま公開するつもりだ。
このnote記事を書くことを通じて、私は、文章も歌もうまくなく、特に知識があるわけでもなく、ただの一般人だということを痛感した。
これまで書いた内容を私のものよりも良質に語れる人はたくさんいるだろう。
だが、私なりにそれなりの熱量は込めたつもりだ。文字数も15,000字を超えた。その熱量だけでも伝われば幸いだ。


 *   *   *


(4) まとめ 

(2020年9月23日追記)
全体のまとめが必要だと思ったので節をたててまとめとする。

1 導入と概要 
 この章では、藤井風の概要、『帰ろう』の概要を述べながら、最近いかに私が藤井風にハマっているかを述べ、このnote記事自体の趣旨を宣言した。

2 『帰ろう』のここがすごい(“JPOP曲の5大要素”に照らして考える)
 この章では、“JPOP曲の5大要素”を価値基準として提唱し、それぞれの観点から『帰ろう』に関して私なりに分析し見解を述べた。

3 『帰ろう』を歌ってみた
 この章では、『帰ろう』を私自身が歌い、撮影することで、より深く曲と向き合うと同時にスタンスの表明を試みた。

4 まとめ
 この章では、現時点での藤井風に関するホットニュースを列挙し、これからの活動への期待を述べた。また、振り返りとまとめを行った。


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以上
 2020年9月22日
   公開
 2020年9月23日 
   誤字修正
   一部構成変更(自己紹介を別途章立て)
   3 『帰ろう』を歌ってみた。追記
   4 まとめ 追記、章中構成変更


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最後に(筆者自己紹介)

本文は以上で終わりとなるが、末筆にこのnote記事を書いている私個人の自己紹介と宣伝をして終わろうと思う。

まず、私は第三のロースという名前でツイッターをやっている。IDは3rdroだ。

特に藤井風のファンアカウントというわけでもないし、おもしろかったり有益な情報を発信しているわけではないが、興味があったらフォローしてほしい。


つぎに、私はロースケイという名前で音楽活動をしている。

このようなJPOP曲を作詞作曲等して、YouTubeやSpotifyやAppleMusic等で公開している。よかったら聞いてほしい。





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