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鶴見事故の教訓

日本の鉄道事故ワースト記録は、2005年4月25日に兵庫県尼崎市で発生したJR福知山線脱線事故です。
この事故では、乗客106人と運転士の合計107人が死亡し、562人が重軽傷を負いました。

1947年2月25日に発生した八高線列車脱線転覆事故でも184人が死亡しています。

国鉄三大ミステリー
・1951年の桜木町事故:106人死亡・92人負傷
・1962年の三河島事故:160人死亡・296人負傷
・1963年の鶴見事故:161人死亡・120人負傷

鶴見事故
昭和38年11月9日21時40分ごろ、神奈川県横浜市鶴見区(東海道本線鶴見駅 - 新子安駅間)で発生した、列車脱線多重衝突事故

鶴見事故

滝坂不動踏切(現・滝坂踏切)付近で貨物列車が脱線し、通過していた旅客列車に衝突した
その旅客列車が弾みで別の旅客列車に衝突した。

同日、福岡県大牟田市の三井三池炭鉱で大爆発事故も発生した。死者458人であった。
大きな事故が2つも重なり「魔の土曜日」と呼ばれた。

三河島駅は常磐線の駅で、東北本線日暮里駅を過ぎてから分岐して1つ目の駅(1面2線島式ホーム)です。
田端駅方面から三河島駅に繋がる貨物線があり、三河島駅下り線の外側を並行して走る貨物線を貨物列車が通過するようにつくられています。
三河島駅を出たところで、本線の下りと貨物線が合流するようになっています。

事故の内容
貨物線(品鶴線)を、定刻より4分遅れで走行中の佐原発野洲行き下り貨物列車(2365貨物・EF15形電気機関車牽引45両編成)後部3両目のワラ1形2軸貨車(ワラ501)が突然脱線。

貨物列車が赤信号を通り過ぎた場合、列車が本線に入らないように分岐ポイントを切り替えて、列車をわざと脱線させる仕組みがある。これを「安全側線」という。

安全側線で脱線した車両たちの勢いが大きく、機関車とタンク貨車が下り本線にはみ出した。

架線柱に衝突し編成から外れたことにより、隣の東海道本線上り線を支障した(2365貨物列車は非常制動が作動し停止)。

直後、同線を走行中の横須賀線電車の「久里浜発東京行き上り2000S列車」と、「東京発逗子行き下り2113S列車」(いずれも12両編成)がほぼ同時に進入した。
90 km/h前後という高速のまま進入した上り列車は、貨車と衝突。

鶴見事故

避難のため線路に降りていた大勢の下り電車の乗客たちを轢きながら数両は高架下へ転落した。

先頭車(クハ76039)は下り線方向に弾き出され、架線の異常を発見して減速していた下り列車の4両目(モハ70079)の側面に衝突して串刺しにした後、後続車両に押されて横向きになりながら5両目(クモハ50006)の車体も半分以上を削り取って停止した。

その結果、下り列車の4・5両目は台枠と車端部を残して全く原形を留めないほどに粉砕され、5両目に乗り上げた形で停止した上り列車の先頭車も大破。

貨物列車の機関士が脱線直後に発煙筒を焚いたが、短時間で消えてしまったこともあって上り列車の運転士(死亡)が見落とし、直前まで脱線に気付かず高速で貨車に激突、勢い余って横の列車を大きく破壊するに至ったものとされている。

旧国鉄は貨物列車の脱線原因を車両構造、積載状況、線路状況、運転速度などが複雑に絡み合った「競合脱線」と結論。
検察は運転士、赤信号を見落とした事故原因の貨物機関士ら国鉄関係者に業務上過失責任は認められないとして不起訴処分とした。

事故で亡くなられた方の御冥福をお祈りします。

改善
防護無線装置開発のきっかけは、この三河島事故だった。
発信した当該列車の他の列車の運転士は、防護無線を受信すると直ちに列車を停車させる決まりだ。

赤信号無視した車両に自動的にブレーキをかける装置(ATS)の全国展開を推進(早めた)した。

軌道短絡装置と発煙筒を常備するようになった。

鉄道会社の教訓として、語り継がれる鉄道事故でした。

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