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執着

先日退職した会社で長らく担当していたとある仕事を、今でも目にすることがある。

足掛け9年くらい携わっていただろうか。退職の少し前に担当を離れて数ヶ月。わずかな期間で随分と乱雑で不格好になっていて、最大の役割も果たせていないような状態で、とても残念な気持ちになる。思い入れのある仕事だっただけに、心の中に靄が渦巻く。カビが生えそう。

見なきゃいいのにと自分でも思う。でも見ちゃう。見えちゃうし。いや、結局自ら見に行っているのだ。
まさに深淵を覗いているつもりが、覗かれている状態である。

悲惨な現状をわざわざ目の当たりにしに行って、わたしはどうしたいのだろう。それ見たことか!ざまーみろ!とでも思いたいのか。これまで同様に整然とした状態が保たれていたら満足しただろうか。さらにクオリティが上がっていたとしたら喜んだろうか。
本心は自分でもよくわからない。

座右の銘を聞かれたら「諸行無常」と答えてきた。
執着してもいいことはない。
わかっている。わかってはいる。

しかし、今はまだ、過去の産物をこの手でしっかり掴んでしまっている。離す気なんてさらさらないくらい、爪を立ててがっしりと。
可愛くいえば木の上のコアラのよう。ユーカリちょうだい。

会社は嫌いでも、仕事は好きだった。
わたしのことはどうでも、せめて残した仕事くらい大事にしてくれよという気持ちが消えない。怒りと切なさが混ざった感じ。こんなふうに思うのは傲慢だろうか。

しかし、そんな気持ちもいつかは成仏することを知っている。どうでもいいと思える日がきっと来る。そこそこ長い社会人歴は、こんなところで役に立つ。
がむしゃらに引き剥がして捨てずとも、自然に手を離れていく日を待つことにする。

ところで、コアラの鳴き声を聞いたことはあるだろうか。ユーカリしか食べてないわりに、よくあんな声が出るなぁと感心する。考えすぎてしまう夜は、コアラの鳴き真似をしてみようかな。


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