取り繕わない

自分を取り繕うのをやめよう、と思った。

仕事中はいつもできるだけ口角を上げて、柔らかい言葉を選んで話す。
棘のある言葉を投げつけられても、泣きたいくらいにショッキングでも、素知らぬ顔でやり過ごす。
その場が円滑に進むのであれば、本当の自分は表に出さずにいる。
これはわたしの長所かもしれない。でも、同時に短所だ。

このほうが生きやすい、こういうふうにしていこうと仕向けたのは自分だけれど、表情や行動と、実際の心理がどんどん乖離していくことに気づいた。

そして、表に出さないのなら、頭のなかでは何を考えてもいいと許可してしまったことで、脳の隙間にヤクザとチンピラが住み着くようになった。
波のない湖のような静寂の表情の内、頭の中ではすぐにドンパチという日常。そして、ついにヤクザとチンピラがときどき表に出てくるようになってしまった。
目つきや言葉尻に、どうしても漏れ出してくる。

取り繕いすぎて、継ぎ接ぎだらけになったことで、強度があきらかに落ちた。
本末転倒。シームレスの真逆だ。

そんなこんなで、意味もなくその場の空気を乱すようなことはしたくないが、悪意を向けられたときに笑っていることはないんじゃないか。私は今、腹が立ちましたよ、という顔をしてもいいんじゃないか。そう思った。

本当のわたしの顔で、ちゃんと怒ったりちゃんと悲しんだりしよう。
それが、私の「派手になる」というイメージに内包するタフネスに繋がるはずだ。

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