お金の無い医師達ー第6話
長い1日が終わった。
今日は、仕事をしていてもどこか気分が虚ろだった。
あの中村部長の、あんな姿、正直なところ見たくは無かった。
若手循環器内科からも、各スタッフからも信頼のある、昔気質の男。そんな人でも、お金に問題に巻き込まれればあそこにまでなってしまう。
貧すれば鈍する、という言葉がある。まさに「お金が無い」事の恐ろしさを、僕は実感した。
僕は奮発して買ったエルゴヒューマンの椅子に座り、ブランデーを飲みながら考えた。
(さて…どこから考えよう…)
(まず、金本先生と切丸製薬の直接的なつながりを、探れるだけ探ってみようか…)
(と言っても、僕はこういう仕事のプロでは無いし、どうすれば良いのかあまりわからないな)
(まあ院長から頼まれた「今の僕の仕事」はこれなのだから、やるしかないか…)
バカラのグラスの中の氷が揺れる。カランと心地よい音がする。
本来、こんな事は医師の僕がやる仕事ではない。
しかしながら、第三者委員会に報告し調査をさせるほどの確証も無いし、何よりもその方法で糾弾できても、金本先生止まりになってしまう。
おそらくもっと奥、切丸製薬までは辿り着く事ができない。
切丸製薬の急成長、営業、資金。
どこかで有機的に結びついている。
これらを全ての事柄を明確にするのが、赤羽院長の狙いだろう。
そしてこれらを明確にするにあたって、必要なのは今動く事だ。
相手が気がついていない、今のうちに情報を集める。
もし相手が気がついてしまえば、全てが明確になるのに必要な情報は、抹消してしまうはずだからだ。
おそらく赤羽院長は、そういった不正の類を一切許す事ができない性格なのだと思う。
一網打尽にしたいわけだ。
正義感が強く、それゆえに攻撃的でもある。
(とりあえず、切丸製薬の宮崎くんに連絡を取って、飲みにでも誘って探りを入れてみよう)
(僕がサシでいきなり誘ったら怪しまれるか…)
ブランデーをグッと飲み干す。舌の上では葡萄の上品な甘さが踊り、喉の奥から胃まで、熱い液体が流れていくのがわかる。鼻腔を心地よいアルコールの風が突き抜けた。
空になったグラスに、レミーマルタン XOを注いだ。
少し飲みながら考えた方が、こういう時は頭が回る。
(そういえば、宮崎くんはサークルエッジの田中さんの事が気になっていると言っていたな)
(田中さんが来る、と宮崎くんに伝えれば来てくれるだろうか)
(いずれにせよ、彼に酒を飲ませて少し語らせるためにも、田中さんはいてくれた方が良いだろうな)
(田中さんも、おそらく僕に以前の物件が流れた件で申し訳なく思ってくれているだろうし、誘ったら来てくれるだろう)
(よし、まずはこの方法で探りを入れてみよう)
僕は飲みきれなかったブランデーをデスクに置いて、ベッドに入った。
翌日、僕は朝一でメールを送った。
宮崎くんには、「田中さんを交えて一席設けるからどうか」という文意。
田中さんには「そろそろ単純に1回飲みにいきましょう、田中さんの知り合いという切丸製薬の宮崎くんも同席して良いか」という文意で、それぞれにメールを送った。
そして電車に乗り、湾岸セントラル病院へと向かう。
今日から、僕の仕事は医師ではない。
というよりは、軽く医師としての仕事はいなしつつも、赤羽院長と一緒に金本先生の周辺を探るのが、僕の仕事になってしまった。
そう思うと、少しワクワクする自分がいた。
医師として働いていると、割と毎日が退屈だ。
同じ事の繰り返しだからだ。
ひたすらガイドラインに沿ったルーティーンを、繰り返す。
難しいようでいて、実は単純な、機械的な仕事だ。
ある意味、医療の質がノーマライズされて、医療サービスの受け手としては「均質な医療」を受ける事ができるのだから、良い側面はある。
しかしプレイヤーとしては、この機械的で単純な仕事と毎日に、飽きている部分も少なからずあった。
今回のことは、まさにイレギュラー。
突然降って沸いたイレギュラーに、好奇心とワクワクを持てるくらいには、僕の精神はまだ若いままらしい。
病院に到着し、午前中の循環器内科外来を終わらせた。
何事もなかったかのように、中村先生も松本さんも仕事をこなしていた。
完全にフリーの午後、僕は金本先生の副院長室周辺をウロウロしていた。
頻繁に歩いて、どんな人が来るのか伺う事にしたのだ。
すると、14時過ぎに金本先生が副院長室から出てきた。
長身の男と一緒だ。
年齢は40〜50代、細身で高そうなスーツを着ている。金本先生のように色黒で、高そうな時計をつけていた。
髪型オールバックで、ワックスで固めている。
会話が少し、聞こえてくる。
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