お金の無い医師達ー第5話
最近、病院内でよく見かける男がいる。
切丸製薬の営業、"多分慶應ボーイ"の、宮崎だ。
彼の努力もあって、湾岸セントラルのジェネリック薬はほとんど切丸製薬へと切り替わった。
ここ数日、宮崎の動きを見ていてわかった事がある。
それは、宮崎と最も接触頻度が多そうなのが、金本副院長だという事。
宮崎は色々な科の外来へと、足を運んで入るものの、最終的には必ず副院長室の前で立っている事が多い。金本副院長を待っているのだろう。
普通、そこは赤羽院長に行くのがスジというものだと思うが、どうやらそうではない。
もちろん、院長との接触も無いわけではなさそうだが、圧倒的に副院長室の前で立っている事の方が、多い。
これは何かある。
僕はそう思い、宮崎に話しかけてみる事にした。
「宮崎くん」
僕は副院長室の前に立っている、宮崎に声をかけた。
「循環器内科の佐藤先生、お世話になってます」
いつも通り爽やかな笑顔で、僕を受け入れてくれた。流石という感じだ。
「誰か待ってるの?」
「はい、金本副院長をお待ちしております」
「そうなんだね、最近よくここにいるねえ」
「ええ、もしかしてお邪魔でした?」
「いや、そういうわけじゃないけど、金本副院長はやっぱり宮崎くんの腕を持ってしても、切り込むのが難しいんだなーって思ってさ」
「あはは」
営業スマイルがキラリと輝く。笑って誤魔化されてしまった。
流石にこの場で、これ以上追求する事は難しそうだ。
「それより!佐藤先生!」
「えっ、なに?」
「サークルエッジの田中と、お知り合いなんですか?」
予想外の質問に、閉口してしまった。
なぜ宮崎が、僕と田中さんの事を知っているのだろうか。
「うーん、まあ知り合いといえば知り合いだよ」
「単なる知り合いですか!?」
「うん、男女の関係では無いよ、彼女美人だけど」
「そうですかー、良かったー」
宮崎は白い歯を剥き出しにしながら、安堵のため息をついて、こう続けた。
「田中は僕の慶応時代の同じサークル仲間だったんですよ」
「へー!そうなんだ」
「はい、で何回か付き合ってくれって言ったんですけど、断られてしまって、まだ僕彼女の事諦めきれてないんです」
「へえ…なんか若いねえ…」
「いつか僕、起業したいんです!」
宮崎の語気が強まる。
「切丸製薬も、こうやって僕が一生懸命営業して、湾岸セントラルのような大規模病院で採用を拡大できているのに、僕の事を全く評価してくれないんですよ」
「だから切丸製薬なんて、僕は次のステップへの踏み台くらいにしか、考えていないんです」
「最終的に自分で起業して、田中にも認められる男に成長するのが、目標です」
マシンガンのように、言葉が飛び出てきた。営業で話慣れているからなのか、かなり早口だ。
(この調子ならば、少しつついたら色々喋ってくれるかもしれないな…)
(もっと営業成績を上げるには、金本副院長以外にも営業かけないといけないね、という方向で引き出してみるとしよう)
「なるほどなー、宮崎くんは目標が高いんだね」
「はい!田中のような女の目に留まるためには、遠くに行かなければなりませんから!」
「でも、起業するにしろ切丸製薬でこのままやっていくにしろ、湾岸セントラルでの成績は大事そうだよね」
「仰る通り!佐藤先生、流石わかっていらっしゃいますね」
「だとするとさ、金本副院長以外の、部長クラスにも個別で営業かけないと、ここから先の追加成績の担保は難しそうだね」
「おー、それは不正解です先生」
宮崎が急に真顔に戻った。
「金本先生は、各科の部長クラスに強い力を働かせる事ができるそうで、金本先生だけ抑えれば良いんだそうです」
(だそうです…?誰かから聞いたという事だろうか)
(もう少し、つついてみよう)
「へー!金本先生ってそんなスゴいんだね、それって誰かが言ってたの?」
「弊社の社長から言われています」
「なるほどねー…」
不思議な話だ。
まだ歴史が浅いとはいえ、切丸製薬は上場している製薬企業だ。その社長、つまり切丸社長から、直々に宮崎のような末端の部下まで情報提供がなされるだろうか。
仮にこの話が真実だとして、切丸社長の立場になって考えてみる。切丸社長は、一体なぜ直々に末端の部下にまで情報を提供しているのか。
十中八九、情報の拡散を嫌ったのだろう。
つまり「湾岸セントラルの薬品採用においては金本がキーマンである」という情報を、切丸社長だけが知っていて、それを直営業の部下にだけ伝え、周囲への情報拡散を防いでいる、という事になる。
確かに製薬営業からすればその情報は営業のキモとなる情報だ。
となれば、切丸製薬の「営業力」の根幹は「情報力」にある事になる。
「営業もキーマンだけ抑えて、効率良くやる必要があるから、わかるよ」
僕はにこやかに話を続けた。
「佐藤先生には、敵いませんね、ははは」
「それにしても、金本先生はなんでそんな各科の部長クラスに顔が効くんだろう」
「それは僕もわかりません」
急に、宮崎の顔が真顔になる。
「見た目じゃ無いですか?圧スゴいですもん!」
そう言って宮崎は、ニコリと笑った。
翌朝、僕は循環器内科の外来にいた。
溜まっていたレセプトを、まとめて片付けようと思ったのだ。
昔であれば、夜仕事が終わってからやっていたのだが、夜は病院の外で他のことに時間を使うと決めた。
具体的には、新しい物件を探したり、ジムに行って筋トレをしたりする。サークルエッジの田中さんとも、定期的に情報を交換しているが、未だ新しい物件にはたどり着けていない。
また、定期的に女性と飲みに行ってセックスをする事は大事だ。
セックス不足になると、諸々の判断が鈍る。
若い男にとってセックスとは、いわば飯を食うのと同じ事であり、腹が減っては戦ができないように、セックス不足では仕事ができない。
定期的に、仕事のように、予定を組む方が効率が良い。
僕は休日、なるべく仕事を持ち込まず、未来につながる投資と、肉体と性欲のリフレッシュに時間を使っていた。
循環器内科外来に辿り着くと、またもや電気がついていた。
(前回、松本看護師が何かをゴソゴソと漁っていたが、今回もまたそうだろうか…?)
そう思った僕は、気がつかれないように静かに外来のドアを開け、中に侵入した。
(中村先生?と、松本さん?)
そこに立っていたのは、中村循環器内科部長と、外来の看護師松本さんだった。
「中村先生…やっぱりそうだったんですね…」
「松本さん、これには理由があるんだ」
何やら言い合っているように見える。重苦しい雰囲気だ。
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