善意はどんなに言い訳しても所詮偽善でしかない

 タイトルの通りです。
 偽善は善か、はたまた悪か。

 コンビニでよくやってる「期間中にAを買うとBと交換できる券がもらえる」みたいなキャンペーンに釣られてまんまと買うけど家帰ってから別にこれそんな好きでもないな…ってなるし、なんならBの交換も忘れてるしで、振り返ってみるとよくわかんないお金の使い方しかしてないよーって皆さんこんにちは、3見るです。

 また会えましたね。今回が6本目の投稿になります。1投稿平均1500字と多めに見積もっても全部で1万字届くか怪しいくらいなんですね。自分的にはかなり積み上げてきた気がしていたんですが、どうやらまだまだみたいです。文章に起こすことは苦手じゃないので、これからもコツコツ続けていければなぁ、なんて思ってます。

 また、いつも読んでくださってる方々、ありがとうございます。人間が生涯で読むことのできる文字数は決まっている、みたいな話があったりします。もし、その内の何字かが僕のnoteに割り当てられてるのならそれは非常に光栄なことです。これからもたくさん書きますので、たくさん読んでください。
 多分こういうの書くなら10個目とかのキリいいときだとは思うんですけど、ありがとうの気持ちは何回伝えてもいいと思うので伝えておきます!ありがとう!

 近況、最近暑いです。まだ五月なのに30度付近のお天気が多くて嫌になってしまいます……。絶対に去年より暑くなっている!という確信を持ち、2000年代の5月の気温を確認すべく意気揚々と気象庁のHPへ乗り込んだんですが、最高・最低気温ともに僕のいる場所は今と大差なかったです(※1)。全国的には引き上がってるんだろうか、しかしどうして暑くなってると感じたんだろう?

(※1 東京都のものですが2000年の月ごとの気象データのURLを貼っておきます)



 前置きはこれくらいにしておいて、本題。


 人の失敗に優しくありたい、寛容でありたいと思い、最近は特に心がけて生活しています。誰かに厳しくする必要も、そうある理由もないので、改まって抱くほどのことじゃないんですけどね。
 別に高尚な人間になりたいとか、来世の為とか、内申点稼ぎとか、そういうのではなくて、ざっくり言うと「自己防衛」のためです。

 突然だけど、僕という人間はかなり失敗する方です。自慢じゃないですが、失敗談なら並の人より多い自信があります。ヘラクレスの命くらい多いです。グレープフルーツジュースを葡萄と何かの混ぜものだと勘違いして注文し、あまりの苦さに悶絶したことがあります。こういう失敗談がめちゃくちゃあります。ギルガメッシュの宝具くらい多いです。

 僕は極端な例ですが、多かれ少なかれ、大小はあれど、誰でも失敗くらいします(しますよね?)。世間様は「コケちゃってもいい、その後に立ち上がることが大事だ!」なんて言ったりしますが、僕は立ち上がりやすい空気を周りが作ってあげることこそが大事なんじゃないかなと。これはちょっと過保護気味かもです。

 失敗のダメージって、一連の流れにおける「起こしてしまったこと」よりも「その後の周囲のリアクション」のが本体だと思っていて、前者はともかく後者は周りのやつらにしかどうしようもないんですよ。
 想像してみてほしい。
 数学の問題が解けなかった。後ろの席から笑い声。
 チャンスボールで空振った。ため息の立体音響。
 告白して玉砕した。お前には告白してないのに、なんでそんなことまで知ってんだ?
 こんなことばっかじゃ、嫌にならないか?

 甘やかしてくれって言ってるわけじゃないんです。笑ってもらうことでしか片付かない失敗だってあると思います。思うけど、辛辣に当たられることって、思ってる以上に辛いぞ。

 ヒーローっていますよね。どんなに劣勢だって絶対に諦めなくて、最後にはいつも笑ってる、そんな存在。めちゃくちゃに不利でも負けないのは何故か。
 彼らには声援があるから立ち上がれるんです。誰にも応援されていないどころか、負けそうなとき、挫けそうなときに罵声や嘲笑があったんじゃ、倒れてる方がまだマシだと、地に伏す屈辱を受け止めてしまう。
 受け入れてしまう。
 甘んじるどころか、甘えてしまう。

 これは完全にワガママなんですが、僕はコケたときにとやかく言われたくないんですよ。それが失敗するってことなのは分かってるんですけど、外野に言われるのがどうしても許せない。ので、少しでも他人に寛容にしておくことで、こう…責めにくい雰囲気みたいなものを……作りたい………というわけですよ。保身で保険です。

 世の中には「失敗しないやつ」もいます。こいつは無敵です。でも、これになるのは多分無理です。多分ってか絶対。僕は完璧って器じゃないし、満身創痍、擦り傷だらけでようやくゴールするタイプ。あと、失敗したことを隠すようになるのが怖い。完璧を目指すのはいいことだけど、それに固執したくない。
 だからこそ、失敗したって胸張って立ち直れるように、立ち直りやすいように、ぬかるんだ土地にふんばれるような足場を作ることが大事なんじゃないかなー、と思うわけです。

 めちゃくちゃ自分本位で始めた善意…もとい偽善ですが、こんな形でも喜んでくれる人がいるなら、それはもう善悪の枠組みなんてとっくに超えてるようにも思います。偽善はいいこと?悪いこと?なんて問いかけに、「優しいことだよ」と答えてみるのも、案外悪くないかもしれません。
 優しさ、だけにね!


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