カッコよくなりたい、という話

どうも、「ファイヤー、アイスストーム、ダイアキュート、ブレインダムド、ジュゲム、ばよえ〜ん」ってありますが、100歩譲ってばよえ〜んはいいとして、ジュゲムはかなり無理があると思います。3見るです、よろしくお願いします。


今日のテーマは「カッコよくなりたい」です。
「カッコいい人になりたい」ではなく、「カッコよくなりたい」。似てるようで、全然違うと思います。

「カッコいい人」と言われたとき、どんな人を思い浮かべますか?
優れたビジュアルでしょうか、秀でた頭脳でしょうか、抜きん出た運動神経、極めて弁の立つ人や、はたまたお金持ち?
間違ってないと思います、むしろ正しい。あれこれ理由を付けたって結局は種を残すこと、自分の遺伝子を残すことが最優先であると、人間は生まれついての本能に刻まれてるんですから、分かりやすく突出した人間に惹かれるのは当然のことです。

では、「カッコいい」とはどういうことでしょうか。
先に挙げた見た目や賢さなどの要因が単品でカッコいいのかと聞かれると、つい言葉を濁してしまいます。
僕は、突き詰めていくと、"自分はカッコいいと信じられること"なのではないかと思います。

社会において他者からどう評価されるか、これは非常に重要です。どんなに優れたミュージシャンだって聴いてくれる人がいなくては埋もれてしまいます。
では、どうすれば聴いてくれるか。どうすれば評価してもらえるか。僕はこれを、自分の行いに誇りを持つことが大事だと考えます。誇り、プライドですね。
普通、自分に自信のある人の方が好感度は高くなると思います。好感度が高いから、人から評価してもらえる。褒められたならさらに勢いが付きますし、そうでなかったとしても立ち止まるいいキッカケになります。そうしてさらに自信が持てる、といった好循環です。
自分に揺るぎない自信を持ち、反面他者からの評価も素直に聞き入れ、フィードバックして次に活かせる。これを誇り高いと言わずしてなんと言いましょう。

しかし、中世の騎士じゃあるまいし、いきなり誇りを持てなんて言われても難しいと思います。
ですので、僕が使ってるものを紹介します。実に簡単で、カッコいいと思うことをするだけです。僕が語っているように、それぞれにカッコいいの基準があると思います。その基準が人と同じか、違うかは重要ではなく、大事なのは"自分の行いはその物差しから逸脱していないか"です。法が許す範囲なのは言うまでもありませんが、自分の考えるカッコいいに従っていけば、自ずと誇り高き人間になれるのではないかと思います。
事実として僕がカッコよくなれてるのかは分かりませんが、少なくとも10年前より、5年前より、1年前より、昨日よりカッコよくなれてると、僕は思ってます。


歩いていたら道に迷っていそうな外国の人を見かけたとします。あなたならどうしますか?
質問してみたはいいものの、別にこれという明確な答えはないと思います。自分の分からない言語圏の方で事態がより一層ややこしくなるだけかもしれませんし、公衆の場で人に声をかけられるのが嫌なタイプで「余計なお世話だ!(任意の言語)」と言われてしまうかもしれません。そもそも、困ってそうだなと判断したのが間違っていて、全然迷ってないかもしれない。君子危うきに近寄らず、触らぬ神に祟りなし、わざわざ面倒事に首を突っ込む必要はないでしょう。
でも、僕は声をかけます。困ってるかもしれない人に「大丈夫ですか」「何かできることありますか」と聞ける人が何よりもカッコいいと思ってるからです。
正直恥ずかしいです。英語なんて全然喋れませんし、どっちかっていうと案内される側です。それでも、見て見ぬふりして帰った僕より、声をかけられた僕の方がきっと好きでいられます。
分かんない言葉なら翻訳アプリを使えばいいんですよ。うまく説明できないなら一緒についてってあげればいいし、道が分からないならせめて駅員さんのところまで案内すればいい。やりようなら、いくらでもあります。

『やらずに後悔するよりやって後悔する方がいい』なんて、有名な言葉がありますが、無責任だと思います。やってしまった後悔はやらなきゃよかったと思わせるぐらいにはキツいです。だったら、やらない方がいいのか?
それは違う。一番いいのはやって後悔しないことです。
それができたときは、きっと誰から見てもカッコいいんじゃないかと、僕は思うわけです。


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