括弧を使うと、句読点を入れる場所がよく分からなくなる
2023年8月16日。映画を観に行ってきた。「夢見るペトロ」と併映作品の「いつもうしろに」。上映時刻は20時50分。20時半頃に、西武新宿駅の方から歌舞伎町を横目にテアトル新宿へ歩く。「通院日記?」を読んでくれてる人は分かると思うけど(そんな人居ないわ)、相変わらず意識ははっきりしない。この日は、人と会って話した後だったせいか少し調子良く感じていて、歌舞伎町の方のビルの上の階にはどんな店があるのかなと眺めながら、途中で横を通った「DUG」に今度行ってみたいなと思いながら歩いていた。ジャズはさっぱりだけど。
さっきの「そんな人居ないわ」は、「通院日記?」は読んでいないけどこの文章は読んでいるという人が大勢居る前提が無いと成り立たないな。
テアトルはほんとに久々で、「魚の目」と「煙とウララ」を観に行って以来、約1年ぶり。着いて中に入ると、あーこんな感じだったなーと。いざ席に座って、やっぱり体調は何も良くないことに気付いた。もう半年以上、意識がはっきりした状態で映画を観れていない。それでも、観ないよりはましだと思って観に行ってはいる。
全くまともに鑑賞出来なかったけど、もうそれもいつも通りで、ただ映画館に居るだけみたいな感じだ。いや、居るのかどうかすら曖昧だ。映画の中の色んなことを見落としているけど、今回観た2作品は「見落としている」ということもテーマの1つみたいな感じだった。上映後の舞台挨拶でも言っていたけど、現実世界とそうでない世界の境が曖昧で、且つ台詞も詩的だったから、意識のはっきりしない状態では捉えるのが難しかった。ほんとにいつになったら治るんだよ。そもそも治るのかよ。
2作品とも「過去」がテーマなんだなと。精神科で、過去の事も今の症状を引き起こす原因になっていると言われているから(ほんとかよ)、何だか自分にとって良いタイミングでこの作品に出逢ったようにも思える。いや、万全の体調で観た方が良いに決まってるけど、そんな風にも考えた。
物語に余白が多くて、余白をつくるのって凄いよなーと思う。余白が多いことで観る側が考えることも多くなってその幅も広がるんだけど、物語は成り立っていて伝えたいことをちゃんと伝えているから。つくってる人は余白が必要なんだろうけど、余白が必要だっていうことが凄い。まあでも、今の曖昧な意識状態で曖昧さを捉えることはほぼ無理だな。
田中さくら監督は1999年生まれで、俺の3つ上らしい。何に対しても思うけど、一体俺は何をしているんだろうなー。今はとりあえず、体調を戻したいっていうそれだけだけど。
新宿は人が多いから、何で皆そんなに元気そうなんだよと思いながら帰るけど、俺だって他人から見れば「元気そう」なんだろうな。
映画鑑賞を日記として記録していこうかなと思って書いてみたけど、「通院日記?」とあんまり変わらないじゃねえか。
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