僕の原動力ってなに?
いやー、前回の投稿からまた数月経ってる。
伝えたいことはあるのに、文字に起こす腰が上がらないというのは致命的ですね。
こんにちワッ😇
inad.brvgです。
大学生活がもう終わる中、最近色々な人と話す機会があります。
感心していただけたり、お褒めいただくこともありますし、「話聞いてもらうだけですごく助かった。ありがとう」なんて言っていただけることもあります。
これは僕に取って嬉しい限りです。
そこでふと考えてみたんですよね。「自分を突き動かしているものって何だろう?」って。
今日はinadの昔話をしたいと思います。
自分が不登校だったのが中学一年の時、Jワールドという団体を通じて自分の存在価値に気がつきます。そこから学校に行っても大丈夫なんだという安心を受け通り、段々と人間関係への恐怖みたいなものがなくなっていきました。
そうして中3になったinadはこう考えたのです。「社会を変えたい」と。
若さって怖いですね。その時は本気で思っていたんでしょうね。
ただ漠然と、今よりもっといい社会になれたらって思っていたんです。
学校に行ったら自分みたいに学校に行けてない人が学年に数人ぐらいはいることに気づいたんですよね。そうした傷や痛みがもっと軽くなればなって、漠然と考えていたことを覚えています。
そんな少年の夢物語に確かな目標を与えた出来事があります。
高校2年生の終わりの時でした。母親から「最近職場に学校に行けていない女の子が親の仕事が終わるのを一日中待っている。たまに来て遊び相手になってあげられないか?」と言われ、遊びに行っていました。
ある日、その子が神妙な顔をして僕にこう言ったんです。
「4月からは一人で長野県の学校に行かなきゃいけないの。」
その時の彼女は8歳でした。長野県が遠い場所であることは十分にわかっているはずです。
僕は言葉を失いました。
なぜなら放たれた言葉は借り物でしかなく、彼女の瞳の奥では「本当は行きたくない。でも自分がいつまでもここにいたら、お母さんにも仕事場の人にも迷惑が掛かっちゃう。寂しいけど、いやだけど、我慢して遠くに行かなきゃ。」と僕に訴えかけているように見えたからです。
言い方を変えるなら“そう”聞こえた気がした。のです。
本音を隠しながら放った彼女の小さな言葉が、僕の胸にまっすぐ、そして重々しく迫ります。
(そんなこと、考えなくていいのに。嫌なら嫌と言っていいだろう。どうしてこんなに小さな子どもがわがままも言えず、人の顔色を伺わなければ行けないのだろうか。そんなの、何かがおかしい。)そう強く思い『子どもが子どもらしく生きれる社会を作りたい。』と決心させたのです。
そうして、人間環境学部に行くことを決めました。なぜ教育学部ではないのかって?
現代の教育だけではあくまで子どもの成長に携わるまでしかできないからです。
「社会の在り方自体を変えなければいくら良い教育をしたって意味がない。」そう思っていました。
もっと大きな場所を見ていなくてはいけない気がしてたのです。子どもが子どもらしく居られないのは大人の事情だからです。ビジネス、倫理、文化、差別、貧困。こう言ったものが絡んでいるのが見えていたからです。しかし、大人の事情で子どもに寂しい思いをさせていい訳ではありません。
人間環境学部の学びでは漠然とした「社会を変える」ことが深まっていきました。社会問題の複雑さ。コミュニティに実在する人と人の衝突。ジェンダー、差別、人権。全ての学びが形は違えど、自分の目標とするものへの答えをくれるような心地でした。
そうして社会学を基礎としてコミュニティのあり方を学んでいくうちに見つけたものがあります。
【資本が、SNSが、ゲームが豊かさの代わりに、人の心に渇きを与えている。これらのものが悪いとは言わない。しかし、これらの価値観が他人を害し蹴落とし、傷つけている。本当に心の底から信頼し合える場所、本音を話せる場所がない。】と言うことでした。
例えるなら喉が渇いたときにコーラを一気に飲むようなもの。刺激が強く、その時は満たされたように感じる。しかし、甘さと炭酸でまたすぐに喉が渇いてしまう。(僕は個人的に、飲んだあとの唾液がドロッとする感覚が嫌いだったのです。あれに似ている。)
心の底から満たされるようなコミュニケーションをしたい。ゆえに、『目の前の一人のために全力を尽くしたい。明日その人が死んでも後悔しないぐらい愛し抜きたい。』
これが僕の原動力であり、信念です。コミュニケーションが、時間を共に過ごして、会話を紡ぐことが、その人を愛することだと思っています。
目の前の一人が泣いていたら一緒に泣きたいし、喜んでいたら一緒になって笑いたい。
その人が「ここにいてよかった」と思ってくれるような場所をいつでも用意していたい。悩みに答えを与えたいわけじゃない。その人の本音を聞いて寄り添いたい。
あの時、あの女の子にしてあげられなかった事だけど。あの時の彼女の顔が忘れられないから、今の僕がこうやって存在している。
ココロのトを立ち上げたのもそれが理由です。「大学生が話す場所がない。」「一日中誰とも会わない。」そんな中で虚しさを抱えることがないように、少しでも心が安らぐ場所になればと思ってこの場所を設けています。
あなたも、何かに傷ついて扉を閉じてしまったなら、あなたのペースでいいので、私と一緒にココロの扉を開けてみませんか?
今よりも少しは楽しい世界が開けると思います。
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