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弥生「異人坂」
弥生2-13の北側に位置する。根津神社裏からおばけ階段をのぼり、弥生坂に抜ける坂。カーブや途中上下に分岐する箇所があり起伏に富んだ坂。昭和54年に擁壁が改修されている。
坂上の地に、明治時代東京大学のお雁い外国人教師の官含があった。 ここに住む外国人は、この坂を通り 不忍池や上野公園を散策した。当時は、外国人が珍しかったことも手伝って、誰いうとなく、外国人が多く上り下りした坂なので、異人坂と呼ぶようになった。
外国人の中には、 有名なベルツ(ドイツ人)がいた。 明治9年 (1876) ベルツは東京医学校の教師として来日し、 日本の医学の発展に貢献した。ベルツは不忍池を愛し、日本の自然を愛した。
異人坂を下りきった東側に、 明治25年 (1892) 高林レンズ工場が建てられた。今の2丁目13番付近の地である。その経営者は朝倉松五郎で日本のレンズ工業の生みの親である。
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