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谷中「光照山感應寺(神田山感応寺)」

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言問通り上、谷中側に少し入ったところにある日蓮宗光照山感應寺(神田山感応寺)

開山:善応院日感上人
池上・感應寺(堺)法縁

1596(慶長元年)徳川家康公より神田佐久間町河岸に1070坪を賜り、上山氏外3名の協力により建立。
1657(明暦3年)徳川4代将軍家綱公の代、の振袖火事で類焼し現在地に移転。当時谷中にも感應寺(現天王寺)があり、区別するために神田山感應寺と呼ばれる。

本尊:一塔両尊四士
祖像:説法像

墓所

江戸末期の医師・儒学者の渋江抽斎。森枳園との共著『経籍訪古志』が名高い。森鴎外の史伝『渋江抽斎』で名前を知られるようになった。

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