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向丘「天昌山光源寺・駒込大観音」

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団子坂と向丘二を繋ぐR425(神田白山線)はこの観音さまから「大観音通り」と呼ばれている。浄土宗天昌山光源寺。 毎年7月9日と10日には「四万六千日」のほおずき市が開かれる。地元のイベントや劇団に場所を貸すなど地域に愛される寺院。東京三十三観音霊場27番札所。

開山:遂蓮社本誉道公
開基:仙石権兵衛後任越前守(法名円覚院殿前越前太守空誉道樹大居士)

1589(天正17年)に神田に創建
1648(慶安元年)現在地に移転した。

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駒込大観音

丸屋宗閑俗名吉兵衛の寄進により建立された観音堂の駒込大観音は、元禄10年(1697)造立の御丈約5mの十一面観音像で、大和国長谷寺の観音の写しといい、江戸名所図会にも掲載されている著名な観音像だったが太平洋戦争で被災、平成5年に再建。

初代大観音礎石も残されている。

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四万六千日

十日詣ともいう。 7月10日の観音菩薩の縁日。 この日参詣すれば四万六千日参詣したと同じ功徳があるという。 ここでは毎年7月9日、10日に開催される。

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庚申待百万遍講中庚申塔

青面金剛立像を主尊とする笠付角柱型の庚申塔。1772(明和9年)9月に建立されたと考えられる。

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墓所

明珍本家
平安時代、京都九条の甲冑師、鐔工であった宗介は、近衛天皇(1141-1155在)から「明珍」の名を授かり、一族は明珍姓を名乗るようになり、代々各地で甲冑・鐔作りを生業にしていた。1789-1801(寛政年間)に幕府お抱えの甲冑師となった明珍本家の墓所がある。

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