根津1「新坂(権現坂、S坂)」 1 鈴木マイ 2022年9月15日 18:01 根津1-21から1-28の間。坂上には東京聖テモテ教会、坂に沿って根津神社がある。界隈の旧町名は根津須賀町。本郷通りから、 根津谷への便を考えてつくられた新しい坂のため、 新坂と呼んだ。 また、根津権現(根津神社の旧称)の表門に下る坂なので権現坂ともいわれる。森鴫外の小説『青年』(明治43年作)に、「純一は権現前の坂の方に向いて歩き出した。 …右は高等学校(注・旧制第一高等学校)の外囲、 左は出来たばかりの会堂(注 ・ 教会堂は今もある)で、…坂の上に出た。 地図では知れないが、割合に幅の広い此坂はSの字をぞんざいに書いたように屈曲してついている。 …」とある。旧制第一高等学校の生徒たちが、 この小説『青年』を読み、 好んでこの坂をS坂と呼んだ。したがってS坂の名は近くの観潮楼に住んだ森鴫外の命名である。根津神社現社殿の造営は宝永3年(1706)である。五代将軍徳川綱吉が、 綱豊(六代将軍家宜)を世継ぎとしたとき、 その産士神として、団子坂北の元根津から、遷座したものである。文京区教育委員会夜はすこし怖い根津神社正門東京聖テモテ教会東京聖テモテ教会内部旧 根津須賀町(昭和40年までの町名)もと、甲府宰相徳川綱重(三代将軍家光の子で五代将軍綱吉の兄)の屋敷があった。網重の子の綱豊(六代将家宣となる)がここで生まれ、団子坂上にあった根津神社が産土神(生まれた土地の神)であった。網豊は網吉将軍の跡継ぎとなり江戸城に移った。綱吉は、宝永3年(1706) 根津神社を甲府屋敷の跡に移し、華麗な社殿を造営した。また町屋が開かれ、根津社地門前と称した。明治2年、町名を根津須賀町とした。根津の名の由来には、ねずみのいわれ、台地の根にあって舟の泊まるところなどの各説がある。須賀は、根津神社の祭神素戔嗚尊が、出雲の須賀に宮居を定め、わが心須賀須賀須といわれたによると。文京区 ダウンロード copy #文京区 #森鴎外 #根津 #坂道コレクション 1 この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか? 記事をサポート