「ファンだから擁護してる」について

ここ最近(特に昨年!)、応援してるアーティスト(ミュージシャン?)や音楽イベントが炎上して、世間からの非難の声を聞くことが本当に多かったです。

その度に自分は、自分なりに意見を表明したり、しなかったり、アクションしてみたり、ネタとして消費してみたり、と色々してきましたが、その中で140文字連投ではまとまらなさそうな考えが浮かんだので書いてみます。

それは、「ファンだから擁護してるんだろう?」という意見にまつわることです。先に言っておくと、わたし個人としては(個人としては、ですよ!)、こういう案件のうち、自分がファンのアーティストを擁護するときは「ファンだから擁護」している、と自覚してやってます。ファンだから擁護するんです。

「ファンだから盲目的に事実やモラルを捻じ曲げて正当化してる!エクストリーム擁護だ!」と思われたくなくて、「ファンだから擁護してるわけじゃない」とバリアを張る論調もありますが、わたしはファンじゃなかったら擁護してないんじゃないかな…と思うことの方が多かったです。炎上案件といえど様々ですが、個人的には「ファンじゃ無かったら、正直そこまで興味ないだろうし、案件を目にしてもまったく触れないか、せいぜいリツイートする程度か、自分なりの正義感を発揮していっちょ噛みの批判するくらいが関の山だな…」と思います。
(もちろん、ファンじゃない方でも、炎上案件にちゃんと関心を持って、その上で擁護するときに「ファンじゃないけど擁護してます」と言うのは普通に正当)

「ファンだから過剰に擁護してますね」に対しては、もしファンなら、「ファンです」の部分は認めたほうが実直なのではないかと思います。過剰かどうかの議論は切り分けて話せると思いますし、その案件で明らかになったダメな部分や、アウトな部分があるならばちゃんと認めて、適切な対応をとってもらうようにするのもまた、ファンが後押し出来ることかもしれないし(出来るとも限らないけど)。
エクストリーム擁護って、「この人の作る曲がいいので、○○の件は悪くない」みたいなことだと思うので…。そういうのは自分は言わないので…。

まあ、ほんと、先にも述べましたが、自分も強く関心のあるわけではない分野の炎上案件については、知りもせずいっちょ噛みの批判的な言動をしていることが、知らず知らずのうちにあると思っています。
最近、自分も実際に「よく知らず批判に乗ってしまっていたな」と自覚した案件がありました。(たまたま、少ししか報道されていない部分について、詳しく知っている友人がいたので、教えて貰って「へえ!そういうことたったのか…ひええ…言い過ぎたわ…」となりました)

また、それ以上に、「自分の関心のある分野」の炎上において、「その分野に関心のなさそうひと」が行った的外れな批判をたくさん見た、ということでも、この件の難しさを知りました。言説的に結構信頼してたひとも、興味関心が無い分野では結構な空振りをすることがあると知りました。なので関心分野が偏ってて、言説的にも甘々な自分は、空振りしまくってると思います。

近年ハッシュタグムーブメントや、インターネット署名の働きかけで社会が動くことも増えてきました。個人でも出来る範囲で、少しずつ、物事を動かせる時代ではあると思います。(まあそれは批判する側、炎上させる側のほうがそうなんですが…)

しかし、こういったムーブメントや活動でもってしても、特に擁護側には一発大逆転はないと思ってます。なんといっても、炎上している時点で(どこまで事実か、みたいな議論はさておき)何らかの負い目がある状態になっていますしね。擁護側がファン以外の方々の力を借りても、リーチできる範囲って想像よりきっとずっと狭いし、ひとまずの達成目標を設定して、その範囲で、時間をかけて、少しずつ、だと思ってます。(そりゃ一発逆転狙いたい気持ちもありますけども!)

無理やり例えると、誰もがバッターボックスに立てる時代ではありますが、こういう働きかけは(見た目は何十万ツイート!とか何万署名!とか大きく見えてるかもしれないけど、それだって全体のなかでは微々たる数字なので)、バットを短くもって、なんとか打てそうなピッチャーから、狙った球を当てに行って、単打を積み重ねるようなやり方(しかできない)と思ってます。
(その先の未来で、もし一発大逆転が可能な人がいるとしたら、それは炎上した本人(や団体)がバッターボックスに立って、世間を大納得させるような大ホームランを打つときなのですが、現時点は「とてもじゃないけど本人がバッターボックスに立つなんて無理!」という状況の話です)

なので、「わたしにも出来ることがある!」を過信して、重いバットを長く持ってホームランを狙いに行くと逆にアウトカウントを重ねてしまう事態になりかねないというか…。ファンだからこそ、「ファン」を自覚した上で出来る範囲のことを意識しないと、それこそエクストリーム暴走になりかねないというか…。

ついでに触れておくと「あの人、○○の件ではあんなに擁護して騒いでたのに、**の件では何も言わないのかよ!ダブスタ!矛盾してる!」みたいな批判モドキの論調ありますよね。あれも、「知ってる動ける範囲で行動してる人」に向けて投げかけられるシーンが多いので、本来は気にする必要はないと思うのです…。
これは、ローコスト(ちょっと発言を検索するだけ)で、それなりに相手にダメージを与えられることがあるので、叩きたいときに多用されがちです。しかし、そりゃ言えること出来ること限られてるし、発言しないからといって考えてないわけでもないので…。っていうか両方触れないといけない道理もないし、矛盾じゃないし…。

話を推しの炎上に戻しますと、いざ炎上したら、やっぱり「ファンだから知ってた」部分に基づいて、擁護することが多くなるのですよ。

それだってあくまで「演者↔ファン」の関係の間で見聞き/推測したものなので、どこまでが真実かなんて分かりはしないのですが、それですら「演者↔ファンでもない叩いてる人達」の間に見えてるものよりは、実があるのでは、と思うので…。

ただ、だからといって「私はファンなのでわかってます。○○は悪くない!」とだけ主張している(ように見えてしまう、含め)のは、さすがに筋が悪いです。

「ファンだから擁護」で出来る限界(※個人の意見です!)は、「ファンだからこそ知っている部分」を、なんとか「客観的に納得できるもの」として(抽出・変換して)提示して、その上で、批判として妥当と思われる部分や、言われすぎていると思う部分を切り分けてみせて、過剰炎上反応がどの程度過剰か述べて、過剰反応を元に戻すものとして実現可能な目標を提案してみせて、その決定主体に働きかけて、説明して、ちょっとだけ変わったり変わらなかったりで、それくらいでやっとこさ批判してたひとたちのうち、そのあたりを見聞きして過剰批判を収められる一部のひとについては収められる、くらいに思ってます。

文章ダラダラ長いのに、全然逆転出来てないですよね。大差で負けてるのに、ようやくヒット一本くらい。

現実として、相手チームでばんばんホームラン打ってる、どんどんゴール決めてる、じゃんじゃん3ポイント打ってる人たちは、そういうのでは収まらない、叩けるひとを批判することでテンション上がってるモンスターだったり、アーティスト自身には興味ないけど炎上してる案件自体について言いたいこと山盛りの専門家とか報道者だったりして、それじゃ全然止まらないわけです。
じゃあそれはどうしたらいいの?どうすれば止められるのと言われても、あの、わからないです。それについて解決策を示すことは私にはできないので、ご容赦ください…。「相手の大振り批判に引きずられて、こっちも大振り擁護モンスターにならないように気を付ける」くらいしか思いつかない。ちょっとデカすぎる。

あと思ったことは、「時には下手に動くより、なにもしない方がプラスになることもある」という点が、ハッシュタグムーブメントな世の中では軽んじられているというか、「何か思うことがあるなら、とにかく何かしよう」みたいなことだけではないのでは…ということ。

(少し前に触れた「こっちには触れないのかよwwダブスタwww」的な批判に触発されて、つい一言物申さなきゃいけない感じになって、下手に動いて、変な感じにしちゃうことも多々ある気がする。)

表明したり、行動したりしないことイコール何も考えてないとか、ましてはアーティストや団体をサポートしていないことにはならないという点は忘れてはいけないと思います。
(とはいえ!これを曲解して「じゃあなにか考えたり、決めたりするのは無駄だな」とか「下手に動くと批判されたりするので、何もしないでいるが得策」みたいな考えは間違いであると思う、ということも書いておきます)

まあ、「じゃあお前はどうなんだ、打席立って単打打ったのか?」と言われると、昨年炎上したファン案件について、私がとくに表立ったアクションをしていないものも多々ありますので、その言い訳にも聞こえるかもしれません。表立って行動している方々にはリスペクトの念がでかいです。

とにかく(まとめに入ろうとしている)、「やるべきことを少しずつ」の精神というか、正当に見える誰かの意見でも過剰に寄っかからず、それぞれ考えて、話し合って、動かない方がいいところは動かず、合致したところでみんなでなんとかやるしかないというか…。あのですね、この炎上時代に燃えてるアーティストを擁護することは本当にコスパがわるいので笑。愛です。愛。愛を小脇に携えて、考えて動くしか。シンプルなわかりやすい答えなど、みつかってないので…。

よくない例えかもしれませんが、山が大きく崩れて人里が被害にあったときに、いきなり山を完全に元の姿に戻そうとはしないですよね。人間が、社会が復旧を先導する上では、まずは居住地や道路から復旧を目指して作業や計画して、そこから中期的・長期的な環境や自然も含めた復旧・整備を目指すことになりますよね。そのなかで、たまたまどこかでコメントを求められた希少植物保護研究家みたいなひとの「あの山には希少植物があるので保護できるといいのですが」という意見にたいして「じゃあ家は壊れたままでいいんですか!」っていう反論することとか、あるいはネットに書き込まれた「山が崩れることも自然の一部なのでそのままにするべきでは?税金の無駄ですよね?」的な意見に取り合うのはあまりにも虚無ですよね…。あと「この居住区域は復旧されるべきです、でもこれは私が住人だから言っているわけではありません」も無理があるし…。みたいなことが起きていたりしたので…。それよりは、住人として、居住地や道路の復旧をするのが、ひとまず目指す姿よな、という。

このテキストだって、最近の事例に基づいた、わたし個人のあいまいな考えなので、来年の今頃には変わってるかもしれません。あと、例えばこれを「ファンのエクストリーム擁護って言われて落ち込んでる人は、コレを読めば晴れます!」みたいな使い方するようなひとは、極論いえば「炎上案件の擁護行動」には向いてないかもしれないです。

つらつらと書いてきましたが、私はアーティストや団体が炎上したときに、不当な批判については、ファンとして擁護しています、という話でした。

※あまりに具体名を出さなさすぎて、分かりづらかったですよね。ごめんなさい。

※あと一応追記しておくと、ファンだからといって、炎上案件が起きたときに無条件に擁護に回るわけではないです。その辺の「擁護するかしないかの迷い」みたいな部分はごっそりカットしてあります。

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