ぼんやりとただ意味なく / 振り返り 20200528

午前中から「散歩に行きたい!」と騒いでいた5歳児には、「ご飯食べて、お昼寝して、夕方になった行こう」と言い聞かせていた。

その「夕方」に差し掛かった時刻、スマホの気象予報アプリの通知が鳴った。曰く「雨雲接近中」。

ほどなくして雨粒が地面を集団攻撃する音が聞こえてきた。「これは…。お散歩は難しいだろう」とニンテンドーDSで「ポケモンピンボール」に興じる5歳児を横目に思った。

都合の良い約束は忘れない子供のことである。「あ、そろそろ夕方だよ!ドライブ行こうよ(訳:自転車に乗って近所を散歩すること)」と言い出す。

「あー、残念、いま雨が降ってるんだよ」というと、笑顔が消え「えっ…」と絶句する元ピンボーラー。「ほんとだよ。窓の外見てみなよ」というと、5歳児は素早く窓の方に駆け寄り、勢いよくレースカーテンを開ける。

「あっ、虹が出てるよ」

いやいや、そんなわけないじゃん。まあでも、子供ってこういうファンタジックな嘘をつくのがいいよな、と思って窓の外に目をやると、厚ぼったい灰色の雲を背景に、オレンジっぽい線がカーブして伸びている。マジじゃん。

「おわー!ほんとだ!」と騒いでいると、それまでずっと部屋の隅でゴム風船をいじっていた2歳児もやってきて、「ほんとだー!」とはしゃいでいる。5歳児は「僕が見つけたんだよ」と得意げ。対抗心を燃やした2歳児が「にじは、あめのあとにでるんだよ」とドヤ顔で知識を語っている。どこで覚えたんだろう。合ってる。

5歳児改め「虹を見つけた人」と一緒にしばらく虹を見ながら、「もう少し子供の言うことを信じなきゃいけないな」と静かに妙な罪悪感に襲われていた。

実は雨はもうやんでいたけれど、そのことについては黙っていた。

※この物語はフィクションです、多分。

手汗をかくタイプなので、ギターの弦が爆速で錆びていき、すぐ切れてしまう。2か月前に1弦(一番細い弦)が切れてから、何となくそのまま放置していたが、この度一念発起(するほどでもない)して弦を張ることにした。理由はスカートの配信アルバム「在宅・月光密造の夜」に収録曲のコード譜が特典としてついてきたことだ。

澤部渡さんのギター、超カッコいいじゃん。超真似したいじゃん。コード譜あれば出来るんじゃね。

ということでAmazonで一番上に出てきたやつを買って届いたので、EpiphoneのSG(っていう形のギター。調べれ。ポルノグラフィティ岡野昭仁が使っていたり、椎名林檎がSGをフィーチャーした「三文ゴシップ / Superficial Gossip」出したりしてたのに憧れて買った安物。ステッカーとか貼っちゃってる。リビングに常に立てかけてあって、BUMP OF CHICKENに憧れてチューニングはhalf drop=全部半音下げるにしてある)に張り替える。

ギターを始めた(と言うほどでもないけれど)のは15年ぐらいまえ。その頃は毎日ポルノグラフィティ「サボテン」を弾いていた。ギター映えする上に、簡単なコードばかりだったので。その後、人類の夢「高校の学園祭で全校生徒の前でギターボーカルする」を叶えてしまう程度にはいろいろやった。

本当は澤部渡と同じ音にするべくアコースティックギターがいいけれど、たしか楽器ダメな住居(なハズ)なので、ビビッてエレキで弾くことにする。実はクラシックギターも持っているのだけれど、ネックが太すぎてジャカジャカ弾くのには向かないし、っていうか今弦切れてるし、弾いたとしてもうるさいからダメ。エレキも当然アンプには繋がない。あと今回はhalf dropチューニングじゃだめだ。ちゃんと普通にしなきゃ。

まず現存する弦を全部外す。ペグ(ギターの弦を締めるクルクルする金具)を回して緩めて弦をとる。くるくる丸めて捨てる。うわギター汚い!そりゃそうだ。前回弦を交換したのはいつだか思い出せないぐらいだ。まずはギターを拭き掃除。

いざ弦を張るとなると緊張する。張り方は覚えているけれど、ちょうどいい塩梅で「クルクル」し始める位置を定めないと、金具に巻き付く部分が足りなくなったり、逆に巻き付き過ぎたりしてしまう。ざっくりとした位置を決めて、巻いたときにどうなるかシミュレーションしてみて、「ええいままよ」で巻き始める。結果はだいたい「6戦 4勝 2引き分け」ぐらいでした。足りなくなることを恐れてちょっと巻き過ぎたのが2つ。

ギターショップとかの店頭で店員さんが弦を変えているのを横目で見ていると惚れ惚れしちゃう。めっちゃ手際良い。もう「サッ、シュッ、クルクル、サッ、クルクル、ピーン!」ぐらいのテンポでどんどん張っていく。こちらは「スーゥ…うーん…スー…クル…スーッ…クルクル…ん?お?クルクル…うーん」みたいな感じ。

でも小沢健二も言ってたけど、やっぱり自分で手を動かしてやることで分かることってある。小山田圭吾も、藤原基央も、新藤晴一も、クリスチャン・フェネスも、マーク・ロンソンも、ギターの弦を張る時は皆こうやって張っているのだ。そう思うと一流ミュージシャンを身近に感じることができる。

ただしそれは、弦を張り終えて、チューニングして、弾き始めると、一気に遠い遠い存在になっていくのだけれど。

今回も例に漏れず、弦を張り変えて、コード譜を見ただけでは、澤部渡にはなれませんでした。「グランメゾン東京」のメンバーも、レシピ盗まれただけではうちの料理は再現できないって言ってた。まさにあれ。コード知られたぐらいではびくともしない。ただ「澤部渡らない」の尻尾はつかめるかもしれない、という予感はした。ちょっと似た音が出せる。

こっちはコード譜に書いてあるやつを抑えて弾いてるだけで涙出そうになるので、これを「作曲して、弾いて、歌っている」という行為が、本当にとんでもないことであると実感する。実感するよ。

noteを始めたせいで読書ペースが落ちていて、買った本が全然読めないけど、不思議と嫌じゃない(早く読め)。


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