解散
オタクになって10数年、推しの解散や活休、引退やジャンル衰退などには幾度となくあってきたはずでした。
だから大丈夫、その時は辛いけど最後にはきっと笑ってありがとうって言えるはずだと思っていました。
でも作者Qは私にとってオタク的感情とかを飛び越えたもので、確実に、私がもしも人生史を書くなら21-22歳の項目に濃く記すような存在になっていた事を最後の最後に知りました。
私が作者Qに出会った時は、実は人生のどん底なんじゃないかと思うくらいに精神を病んでいてまいにち人らしい活動をする元気も出なくて、家族以外と会うことも無くて、自分自身を形成する色々な要素を手離しているような時でした。
寝て、目を覚まして、でも起き上がれなくて、空腹と喉の渇きが限界になるまで蹲って、ようやく少しの水と食べ物を口にして自分の現状に嫌悪感を抱いて泣く、みたいな毎日でした。
そんな時に運命的に作者Qを布教されて、作者Qと出会えて、まず真っ先に会いに行きたいという感情が湧き出しました。メンバーの声、人柄、グループの空気感、全部が心の深いところにぶっ刺さりました。
まるで泣いてる自分の隣に居てくれて、そっと背中をさすってくれるような、それから、私も頑張るからねって言ってくれているような、そんな気がしていました。
メンバーの綴る歌詞の単語ひとつひとつが、歌詞に乗る声が、ステージのライトに光る指先が、私の心を支えてくれていました。
聞きすぎてCDつぶしかけたこともあったし、車に同乗する兄にクレーム入れられた事もあったくらいずっと聞いて、ずっとエネルギーを貰ってきました。
作者Qに会いに行くためだとおもえば仕事も生活もなんでも頑張れたし、本当に悔しい事に新型コロナウイルスの影響で行けないことも多かったし諦めてしまった事もあったけれど、会えた後はエネルギーフルチャージになって今ならなんでも出来る!って気持ちになったりもしました。
そして、2022年6月1日。
解散発表を見て真っ先に思ったことは「嫌だ」でした。
作者Qというカタチが一生のものだとは思ってなかったけれどそれでも、嫌だ、もっと見たい、もっと会いたい、と…
作者Qのメンバーが作者Qを、読者や関係者の皆さんをどれだけ思ってくれているか、その決断を下すのにどれだけの思いがあったのか、そこに思いを馳せて自分で自分を納得させようと諦めようとしましたが、それでも嫌だって気持ちが勝ってしまいました。
自分でもそこまで作者Qの存在が深く尊いものになっていたとは気付かず少し驚いたと同時に、推しは推せる時に推せという言葉が脳裏をよぎって、推せる時はいくらでもあったのに全然推しきれてなかったんだなという後悔でいっぱいにもなりました。正直まだ全然感情整理できてないし立ち直ってないし頭が上手に動いてくれないです。まだ暫く曲聴いては泣き聴いては泣きを繰り返すんだと思います。
ラストライブも行けなくなってしまい、結局整理はつかないままでした。
なので私の心の中では解散してない事にして、動画見ながらペンラを振り、曲聴きながら口ずさみ、カラオケ行っては全力で歌い、って感じでちょっとずつ咀嚼して飲み込んでいってみることにしました。
最近は夜家に帰る前に近所のバイパスをサーキット代わりにして作者Qの曲を流しながら歌いながら一周してるので帰宅時間が遅く、母にちょっと変な顔をされてます。
アイドルをここまで推したのは人生で初めてで、これから先、また違うアイドルを推すことがあるかは分からないけれど、作者Qは私のまだ長いか短いかもわからないけど人生の中で強烈に輝く存在であり続けるのだと思います。
銘々の輝きをそっとキラキラのボウルに流し込んだみたいな作者Qが本当に本当に大好きです。ありがとう。これからもこの先もずっと好きです。ひっそり推し続ける事をどうか許してください。
最後の最後までなんだか現実に目を背け続ける厄介害悪オタクになっちゃいましたが、それでもきっとずっと好きなんです。
以上、ドルオタ2年生のよわよわオタクの心の整理的文章でした。解散!
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