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気がつけばお酒を止めていた話 その2


きっかけは何であるかより、あんなにお酒の席が好きだったのに、なぜ今飲む気がしないのかという、この不思議さよ。

私の場合は、きっかけは『迷子』でした。

行く気のなかった同じ神社さんに迷走し、3回も手を合わせて帰ったという……
たぶん、京都の東山の美術館に行った帰りだったと思うのですが、そもそも方向音痴だというのに時間もあるしと四条に向かって地図アプリなしで迷走した結果、ある神社さんの鳥居の前に立っていたのです。
「まぁ、これも何かのご縁かも。手だけ合わせて帰ろう」と鳥居をくぐって境内の短い参道を進んだ瞬間、ビビりました。ものすごく。「わ!来てしまった!」
そこにあったのは、わさっっと参詣者の皆様が貼り付けた御札が小山のようになった石の洞穴が……

そうです。京都の縁切り神社として有名なあのやんごとなき神社さんです。

有名なこの神社さん、確かにお願い事を叶えて下さることで有名なのです……強烈に。

Google検索すると、願い事が叶った皆様の確かな御利益の数々が……というか、荒ぶるようなすごい叶い方です。

転職お願いしたら勤務先が倒産して強制的に転職したとか、縁結びお願いしたら彼氏の浮気が発覚して別れて全く違う相手と結婚とか、何というか、予想の遙か上空をいく展開を経て叶う……バチと祈願成就が紙一重というか煩悩に教訓を与えるような叶い方です。
確かにこの神社の鳥居に掲げられた『悪縁を切り、良縁を結ぶ』の言葉の通りなのです。
ふと振り返ると、心配そうにご近所の方がこちらを見ています。うっかりこんな夕方に来る参詣客を心配して下さっていたのでしょうか。
夕方にこの神社さんに来るって、そんな訳アリなことなの?!
端にあった看板を見てちょっと落ち着きました。こちらのご本尊様は、生前は小倉百人一首にお歌が入るような素晴らしい和歌の腕前をお持ちだったのです。
勝手に境内に入っておいてそのまま帰るのも何なので、手を合わせて日頃の無事のお礼を伝えてお願い事はせず帰りました。

こういうことがなんと3回ですよ。
自分で向かった訳じゃないのよ。

3回目はちょっと様相が違いました。
春の昼間に友人と通りかかった時は、明るい境内に山のように参詣者が訪れているのが目に入り、たまたまお邪魔したらまたもやこの神社さんだったという……

悪縁を切って良縁を結ぶべく御札を納めてはいかがですか?と巫女さんにお声を掛けていただき、これも何かの縁かと御札を購入して、ペンを取りました。
御札の右半分には切りたい悪縁を、左半分には結びたい良縁を書くそうです。

叶うにしても極端なことにならなそうで普遍的なお願い事を……健康にしよう。

『不健康な生活とは縁を切り、規則正しい健康的な生活と良縁を結べますように』

一緒にいた友人も「その願い事、めっちゃいいね!」と言って、同じ内容を書いてました。
そして御札をあの小山のような御札の上に納めた後、石の穴をくぐって手を合わせて……お参りは終了。
友人は別の待ち合わせが入ったとかで、ここで別れました。

で、このお参りが2017年の4月。今2020年の大晦日なんですが……
現在この友人とは、全く会っておりません。

切れてしまったんです。縁が。

この友達と仲良くなったのは『お酒』がきっかけだったんですが、縁が切れたのも『お酒』からでした。

というか、この友人に限らず、今までつながっていた縁が、釦を掛け違えていたかのように……もしくはオセロの逆転のように……ばばばばばばばばばっっっっっと入れ替わっていったんです。

お酒でつながっていた縁は、お酒をきっかけに。
仕事でつながっていた縁は、仕事をきっかけに。
鉄道好きでつながっていた縁は、鉄道をきっかけに。

つないでいたはずの物事を中心にして、ドミノ崩しのようにまさかの人間関係の入れ替わり。

何から書けばいいんだ……
疲れたので、年明けにまた更新しますね。
ここまで読んで下さってありがとうございます。
次で締めたいです。


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