打ち明ける勇氣
私も妹も実家に帰省して、2日目の午後2時頃。
私は、妹に仏間で小学校の頃からいじめを受けてた事を打ち明けた。
妹にいじめの事を打ち明けるのは、今回が初めてだった。
私は、なぜかこの日を逃せば、この話をするチャンスを逃すと感じたからだ。
妹にいじめの事を知ってい
たか聞いてみた。
妹もなんとなくではあるが、氣づいていたらしい。
妹が、小学生の頃、上級生に
○○○のいもうと?
と尋ねられた事があったと。
その中には、意味ありげに尋ねてきた上級生もいたと話してくれた。
私達の家は、変わっていた。
特に母親。
私達は、小学校の頃、服装もダサくて、浮いた存在だったのだ。
アルバムの中の写真が、それを物語っていた。
服がダサいで思い出したが、
私が小学高学年の頃、下校途中で、1学年下の女子2人に
服が、ダサいと言い捨てられた事を今でも覚えている。
妹は、高校生までは、同級生に恵まれていたのか、いじめ
らしい事は、なかったらしい。
だだ、大学入学を機に、一人暮らしを始めてから、世間一般とのギャップに相当苦労したと語ってくれた。
大学を卒業して、社会人として働いた職場の中には、話が噛み合わない事や変わってる事を直接指摘する人もいたと
正直に話してくれた。
私は、妹がそんな辛い経験をしていたのを初めて知った。
妹も私の知らない所で、傷ついていたんだと。
私は、私だけが、辛い思いをして生きてきたと勝手に思い込んでいた。
いかに、自分だけが、被害者意識を抱いていたのだと痛感した。
私が、いじめの事を話さなければ、妹も勇氣を出して、思いを語ってくれなかっただろう。
妹は、いじめを受けた私に何も悪くないと励ましてくれた。
あと、私が長年、このいじめに対して、引きずってる事に驚いていた。
私と妹では、辛い出来事が起きた時の受け止め方が違うと感じた。
妹は、起きた出来事に対して、自分と問題を切り離して向き合う。
対して私は、人格否定をされたと感じてしまい、問題ではなく相手が悪いもしくは、自分が悪いのどちらかに振り分ける。
今回、妹に私のいじめを受けた過去を打ち明けたおかげで、妹自身も苦労して、傷ついてきた過去を知り得たし、
いじめにしても、私は、悪くないと、私の味方になってくれた。
妹に、勇氣を出して言いづらい内容の話が出来た事で、心がかなり軽くなったし、小さな頃の自分が喜んでいるのを感じた出来事だった。
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