補正の利かない日々~卒業式前夜~
2月。3月。
日程の差こそあれ、卒業を目前に控える時期かと思います。
高校を卒業するという一大イベント。せっかくだし何か残したいなと思い記事を書いている次第でございます。
ただ...
なぜ前日に...?
と思われるかもしれません。
その答えを先に言っておくならば、自分が過ごしてきた学生生活のありのままを残したいと思ったからです。
「思い出補正」なんて言葉を聞いたことがあるでしょうか。
kkkkkkk(説明)
簡単に言うならば、過ぎ去った日々は自分の頭の中で美化される、ということですね。
まあそんなに詳しく説明しなくても大体の感覚は分かる人が多いんじゃないかな。
すべての思い出の修飾語として「振り返ってみれば」ってのが入るやつ。
(振り返ってみれば)いい先生だったなあ。(振り返ってみれば)いい日々だったなあ。と。
悲しい思い出ほどそうなりやすい気がする。本当につらかった時の思い出ほど意外と記憶の中から消えているように。その事象を起きた頃と同じサイズで保存しようとすると容量(キャパシティ)をオーバーしてしまう。
スマホ(携帯電話)とかでいう写真の保存もそうじゃないですか。圧縮されて保存される。
こういう無意識の作業というのは恐らく実行されなければ精神的に押しつぶされてしまうのだろうと思う。
でも、今思っていることとか感じていることって今限定のものであって。だったらオリジナル画質のものもどこかに残しておきたい。
将来的には圧縮されてしまうなら、どこかの媒体に置いていけばいいい。
ということで、少しばかり昔話も交えながら、さよならも言えたらと。
3つのさよなら~制服編~
高校の卒業が一大イベントに感じられるのは、制服との卒業を意味するからだと思う。
子どもは大人に憧れるし、大人は学生生活を回顧する。
制服って今考えると学校、ひいては社会が確保するモラトリアムによって守られていることの象徴としての役割も担っていたんだなと思う。
そのモラトリアムの中に住まわされることが子どもには外との世界を阻む壁のように感じるからこそ反発することもある。
逆に大人は、自己決定・自己責任といった社会的責任の重さに気が付いて嫌になるからこそ、あのときのモラトリアムの中の世界が恋しくなることもある。分かんないですけどね。笑 まだ子供ですし。
でもまあその猶予期間が解除されていく段階に入っていくことは明確なわけで。
ちょっと怖い。いや結構怖い。
これに関しては個人差あるけど、そういう時期へと否応なく進んでいるわけでございます。
なんかめちゃくちゃ制服着たいな。でも明日まで。
3つのさよなら~人間関係編~
社会的な卒業というイベントこそあれど、来年度から周りの人間関係が変わることになるとは1年前は考えもしなかった。
まあこれは完全な私情なんですけど、小学校から仲の良かった友達がこれ数多く地元からいなくなる。そうでなくとも、就職によって会うことの少なくなるだろう人も含めたら、人間関係のネットワークが狭い自分にとってはこれ致命傷。
加えて当然高校内でのネットワークも失われます。
今でこそ感傷的な気持ちにもなるけど、正直入学してから割と長い期間合わないと思っていた。
これは恐らく全国津々浦々の学校に共通するものだと思うんですけど、小学校から中学校って受験しない限り同じメンバーで進学するじゃないですか。
だからこそ今と比べれば比較的中学校の頃の人間関係って心開かなくてもやって行けてたんだと思います。自分の意思次第では人間関係を小学校から引き継いでほとんど更新しないこともできるので。
話を戻しますが、それに比べて高校って基本的にみんな受験して進学するのでそういうことができないわけじゃないですか。
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