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精神と時の部屋 -エクストリーム帰寮2021-

エクストリーム帰寮という企画がある。

こんな企画である。確かに「ルールはかんたん」だが、少し血迷うと過酷な挑戦になってしまう。

私は自分の身体を痛めつけて快感を得るほど病んでいるつもりはないのだが、何を思ったか、昨年に引き続きこの企画にエントリーしてしまった。しかも70kmで。

企画参加中のあれこれを、裏話的なことを中心に、備忘録も兼ねて書き連ねていこうと思う。

出発

出発は午前2時頃であった。行きの道中では、100km帰寮に挑戦するという強靭な各位と様々な話をした。

道中はこれから始まる挑戦にワクワクしていたが、それと同時に、私は窓の外の景色を見ながら、既に参加を後悔し始めていた。である。しかも結構降っている(個人の感想です)。

降ろされたのは高島市農業公園マキノピックランドであった。場所としてはここ。

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降りて1分もしないうちに施設名の表示を見つけ、現在地を理解できた私。道は両側を高い木に挟まれており、私を降ろした車が走り去っていった後には、降りしきる雨以外には何の音もしない。とりあえず、車の来た方向に歩き出す。

ちなみに申し上げておくと、降りてすぐの私に不安を煽るには十分であったこの高い木は、マキノ町の名所であるメタセコイア並木である。そして、私が降ろされた高島市農業公園マキノピックランドは、こんな感じの施設である。昼間に来たかった!

とりあえず湖西エリアの比較的山寄りにいることを把握した私は、東に向かい山を下る(すなわち、琵琶湖に向かっていく)ことを決意。そして高島市マキノ支所(旧マキノ町役場)を経由する。進む先に、バイパス道路が現れる。湖西道路(琵琶湖西縦貫道路)だ。湖西エリアを縦に貫く交通は、湖西道路とJR湖西線である。このことは私も十分に理解していた。南北に進む道路と交差したのだから、東に進んでいるのだろう。そして、このまま東に向かえば線路が見つかるだろうと信じていた。

しかしこれは初手から大きな勘違いであった。しかし、ここで私は、直角に交わった湖西道路がカーブして並行しだしたことで、これに気付くことができた。昨年度の失敗から得た教訓である。南に向かう道路が、例外なく常に南北に走っているなどということはないのである。ここで持った、多分実は南に歩いているのだろうという考えが確信に変わったのは、「高島市今津」の看板を見かけた時、そして「京都 67km」の看板を見つけた時であった。

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太陽と雲と私

日の出を迎えたのは近江今津駅を少し南に行ったあたり。琵琶湖の向こうから朝日が顔を覗かせてくる。天気は既に情緒不安定であったが、雲の向こうから朝日が見えていたことは今後の希望になった。

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しかしそんな希望を持つ私に対して、現実は非情であった。上の写真を撮ってから数十分後。

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これはある地点から進行方向を撮影したもの。

そして、次の写真は同じ地点で振り返り、進行方向と反対側を撮影したもの。

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(手ブレに関しては諦めてほしい)

あああああああ!!!!

徒歩でこの雲から逃げ切ることができるはずもない。ドライバーの方から降車前に「雲は北西~南東で流れている」と教えていただいたのだが、まさにその通りである。

そしてこの写真の数分後、私は雨の中を歩き始めることとなった。

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雨の中、近江今津駅の次の駅である新旭駅に逃げ込んだのは午前7時頃。時間も時間なので、私はここで最初の休憩を取った。既に足は濡れている。活動を止めると体温が奪われるため、休憩は手早く。持参したあんパンを食べて再び歩き始めた。

新旭駅の運賃表によれば、京都駅までの運賃は990円。ゴールは遠い。

ここからは雨が降ったり止んだりを無限に繰り返した。1時間に3~4回は傘を出し入れしたから、日没(それ以降は雨が降り続いた)まで約30~40弱回くらいである。本当に最悪の天気の日にやってしまったな、この企画は。

その後は県道558号をひたすら南へ。9時頃、高島市東鴨付近で、左足が痛み始めた。当初は気にするほどでもないし、何ならしばらくすれば直るだろうと思っていた。

青看板は自動車のためのもの

近江高島駅付近。前に山が見える。青い看板には、大津へは左折だと書かれている。地形を考えると湖西道路沿いに歩道があるだろうと考え、県道558号を離れ湖西道路沿いへ。しかし、この判断が大きなロスを生んだ。

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私の歩いたルートは北から南に向かって、黒→青→赤の順である。そっちに南に抜ける歩道はない…!

大津へは左折だと書かれていたが、誰も歩道が丁寧に整備されているとは言っていない。そもそもバイパスの歩道付き区間など最低限であるから、期待してはならない。(と思っていたが、湖西道路の西側には歩道があり、私が当初考えたルートでの突破も可能だったらしい。帰宅後これを知った時は発狂しそうになった)

ちなみにここで私を救ってくれたのは、ビワイチの路面標示である。最悪これに従っていけば、大津市街地までは安泰である。湖に沿った道を優先的に選ぶため、最短ルートでないのが玉に瑕だが。

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白鬚神社。午前10時半ごろ通過。鉄道ではトンネルで抜けてしまう部分なので生で見たのは初めてだ。ここが徒歩圏内だと仰る方がいるが、私は違うと思う。

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序盤とは?中盤とは?

この後は国道沿いを1時間以上進む。そして、やっと待ちに待ったものが見えた。

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大津市!!!

私は帰寮までの自治体は高島市、大津市、京都市の3つしかないことは理解していたから、ここで序盤終わり、と感じた。既に6時間以上歩いており、雨も相まって体力の消耗量は序盤のそれではなかったが。

北小松駅で2度目の休憩。足を拭こうとしたところ、タオルが濡れていた。これでは逆効果だ。

私が中盤だと思っている大津市は、高島市部分よりも距離が長い。それも分かっていた。私に「体力が持たないのではないか」という考えが出てきたのはこの時だった。

虹が見えたが、もうこれで何度目か分からない。虹を見飽きる日が来るとは思わなかった。

決意

左足の痛みはズキズキとしたものに変わってきた。どうやら炎症を起こしているらしい。足の状態を改善させるため、比良駅で長い休憩を取ることを決意した。出発前日の18時に起きて以来寝ていないので、仮眠も兼ねて。

LINEには友人から応援のメッセージが届いていた。私は正直に足の状態が悪いこと、足の状態が改善しなかった場合はリタイアを検討することを告げた。

数十分で比良駅に着き、ベンチに腰を下ろし、仮眠。頭を置く場所がないため座ったまま天を仰ぐ。あまり眠れず、残っていたあんパンを食べだした私に、駅員さんが話しかけてくる。

駅員さん「大丈夫ですか?」

私「はい…」

駅員さん「列車乗られます?」

私は反射的に、「はい」と答えてしまった。というのも、駅はJRの敷地である。利用する気がないのを明かしてしまうと、出て行けと怒られそうだったからだ。

駅員さん「京都方面ですか?」

私「はい…」

駅員さん「次の京都方面の列車、○○分発が行ったら、40分以上空きますんで」

私は察した。この人、私を追い出そうとしているな?

無理もない。雨に濡れトボトボ歩く限界大学生が自分の仕事場にやってきて、天を仰ぎ眠ったかと思えばあんパンを食べているのである。危険人物間違いなし。私でも追い出そうとするだろう。

私は「わざわざありがとうございます」とだけ述べ、駅員さんが事務室に入った隙にその場を去った。次の志賀駅に向かうことにした。運賃表では志賀駅までの運賃は150円、すなわち営業キロは3km未満だ。

そして約40分歩き志賀駅に到着。再び仮眠を取る。起きてLINEを開くと、先程のメッセージに返信があった。

要約すると、「自分なりの考えを持っているだろうからあえて何も言わない」「どんな形であれ、ちゃんと寮に戻ってこい」と。私は本当に良い友達を持った。

今後のことを考える。

左足は完全に炎症で痛んでいる。しかし、私の所持金は500円。次の蓬莱駅からなら420円で山科まで帰れるが、山科から寮、そして家まで帰るなど不可能だと思った。救援を頼むのは避けたかったから、こんなところでは、やめるにやめられない。調べたら、おごと温泉→山科→東山がちょうど500円だった。最低限そこまでは行かなくてはならない。

そもそも、まだ食料も多少ある。まだ限界じゃない。そう考えた私は立ち上がった。応援してくれる人がいるのに。まだ昼間なのに。負けるわけにいかない。

限界突破

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志賀駅を出て、歩き始める。もう何本のサンダーバードに抜かれただろうか。運用を見るに、多分この編成を見るのは今日3度目のはずである。

この写真の数十分後、沖島が見えた旨ツイートしてからは、しばらく何の写真も存在しない。ツイートも、縮小アカウントに「いきてます」の5文字をツイートするのが精いっぱい(なお、これは言うまでもなく生存報告だが、アカウントを間違えた可能性が高い)

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私のカメラロールに次に現れるのはこの写真である。そして、この間の記憶はほとんどない。蓬莱付近で限界を迎えたのだろう。

堅田駅付近。私は歩きながら奇声を発していた。通報されなくて良かった。足の炎症、そして只管体温を奪う雨のこと以外、何も考えられなくなってきた。

あーーーーー!!!!!キツい!!!!!

おごと温泉駅まではあと1駅。あと1駅なんて無理だと思ったが、行かない選択肢はない。おごと温泉駅までは、何としても…

ずっと歩き続けているにもかかわらず、足には鳥肌が立っていた。日没とともに気温が下がってきている。低体温の初期症状なのだろうと思った。

私はおごと温泉でリタイアする旨、そして救援不要である旨、主催者の方にメールを送った。もうこれ以上は歩けない、完走なんて絶対に無理だという確信、そして救援がいらないギリギリまでは何としても辿り着いてやるという最後の足掻きだった。

リタイア

道の向かいに「ラ・ムー雄琴店」があった。一部の京大生にはこの店が人気であるから、写真だけ撮影した。ツイートする余裕はもうなかった。

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その数分後のこと、LINEに「生きてる???」というメッセージが来た。日没以降はツイートできるような状態でなかったのだが、それゆえ死亡説が流れてしまった。

LINEに返信し、とりあえず生存確認の報告だけしてもらった。しかし、Twitterを開くと予想以上に私の生存が不安視されていたため先程のラ・ムーの写真をツイートした。

おごと温泉駅は私の歩く府道558号からは少し離れたところにある。そのため道を外れるのだが、その途端にもうほとんど歩けなくなってしまった。この道が、京都に繋がる道ではないからだろうか。私は、昼間に応援メッセージをくれた友人に、少しだけ電話で話させてくれないか、と頼んだ。他人の声というのは気を紛らわすのに丁度いい。

返信は「10分ほど待ってほしい」とのことだった。私はこの10分で何メートル進んだだろうか。多分200メートルも進んでいないのではないか。(ただし、意外にもこの10分はすぐだった)

やはり会話というのは苦行の気を紛らわすには最適だ。それから約10分の会話、計約20分で、県道をそれてから300~400メートルの道を歩き切った。よく考えたら電話をしてもペースはさほど上がっていない。

達成感のないゴールであった。16時間の歩行の末、無念のリタイアとなった。炎症が起きていなければ、雨が降っていなければ、もう少し気温が高ければ…考えることは沢山ある。しかし、私に残った結果は、まだ20km以上を残していること、それだけである。

その後

おごと温泉→山科の運賃はたったの240円。徒歩の苦労を思えば、安すぎやしないか。しかも一瞬で着いてしまった。この乗っている時間で、1kmも歩けないだろうに。

山科駅のセブンイレブンで、PayPayを使って暖かい飲み物を調達する。PayPayはあまりに有能すぎる。鉄道には(ごく一部の例外を除いて)乗れないという点も、エクストリーム帰寮に適合している。

地下鉄に乗り換える。私の家に向かうなら三条京阪駅または京都市役所前駅で降りるべきであり、東山駅も含めて山科駅からの運賃は全て260円。

しかし、私はけっこう細かいところにこだわってしまうタイプである。友人は「どんな形であれ、ちゃんと寮に戻って」くるように言ってくれた。私は東山駅で下車した。

暖かい飲み物のおかげで(軽度の)低体温を脱した私。しかし、これを見た時には発狂しそうになった。

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あああああああ!!!!

この時私はバリアフリーを切に望んだ。いや、エレベーターは既に設置されているのだが、エスカレーターとは利用しやすさが大きく違う。エレベーターなんて、一部の施設では「健常者の利用はお控えください」などと書かれているものまである。(なおこれは特定の大学に対する批判ではない)

よって仕方なく階段を上り、地上へ。そこには私の知っている京都市があった。

私が無事に家まで帰れるか心配した各位が、迎えに来てくれた。リタイアした人間であるにもかかわらず、差し入れも頂いてしまった。

熊野寮の前を経由し、一応の帰寮を達成。再びそれは達成感のないゴールであった。

熊野寮からは別の友人が家の前まで付き添ってくれた。さくら川介護リレーの開催である。

なんとか帰宅した。その後、足の炎症は約10日間私を苦しめ続けた。

結局のところ、人に助けられてばかりだった。お世話になった友人達には、ちゃんと恩返しをしようと思う。


来年は絶対参加しません。ドライバーならやってもいいかも。

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