昔から書きかけのキョンみく

 寝ぼけ眼をこすり、欠伸をしながらいつもの駅前にやってくる。時刻は早朝。時間が時間なだけに人影はまばらであった。それだけに、ちょっと辺りを見回すとお目当ての人物はすぐに見つかった。どうやら待たせてしまっていたらしい。ピンクの小さいキャリーバッグに手を置いて、少女が立っている。
「おはようございます、朝比奈さん」
 近づいて声をかけると、その少女は――朝比奈みくるさんは、うつむきがちに、恥ずかしそうに小さい声で答えた。
「お、おはようございます」
 緊張しているのか、ぎこちなく笑うそのお顔は一瞬で俺の脳天を射抜いた。半分寝ぼけていた頭も一気に覚醒し、その神々しいお姿に思わず平伏してしまいそうになってしまう。
 今から、行くんだな。朝比奈さんと二人で。
 そう、朝比奈さんの他には、ここには誰も居ない。暴走特急弾丸団長も、うさんくさい超能力者も、クール宇宙人も居ない。
 急にこみ上げてくるものがあって、俺は天を仰いだ。未だ薄暗いが、雲ひとつない空。天気予報でも行楽日和と太鼓判の今日。これからの好天はもはや約束されたようなものだ。俺と朝比奈さんの旅立ちを祝福しているようだ、なんて言ったらアレかね。
 ところで何故俺達二人が、ここでこうして待ち合わせをしているかと言えば、話は一ケ月前の日曜日にまで遡る。
 
 一ケ月前の日曜日、不思議探索パトロール。特に行く当ての無かった俺と朝比奈さんは、商店街を歩いていた。商店街では、感謝セールだとかなんとかで、福引きを開催していた。たまたま以前に買い物をした時に福引券を一枚もらっていた俺は、そのことを思い出して引いてみることにしたのである。今回の福引きの目玉は、特等として用意されている豪華温泉旅行一泊二日ペアチケット。商店街の活性化を狙っての賞品なのでだろう、わかりやすく目立つパネルが福引き所に設置され、わかりやすく盛況していた。年寄りが目立っていたのは、やはり賞品が賞品だったからであろう。俺達と同年代の姿はほとんどなかった。年寄りの中に混じって、二人で列に並ぶ。順番を待ちながら、俺と朝比奈さんは景品について話していた。特等について、ではなく、その下の等について。商店街らしく、トイレットペーパーからちょっとした家電まで、様々な生活用品の名が連なっていた。見覚えのある名前の店が提供者として併記されていたが、それはともかくとして、朝比奈さん的に欲しいのはどれであるか、ということを話していた。温泉以外は生活用品だったので、俺としてはいまいち魅力がなかったのだが、一人暮らしをしている朝比奈さんにとっては多少魅力を感じるものがあるということを聞いて、朝比奈さんの生活感ある一面が垣間見れたのは非常に喜ばしいことであった。そんな俺のちょっとした感動をよそに、順番はどんどんと進んでいき、いよいよ俺達の番になった。
 福引券を係の人に渡し、ガラガラの取っ手に手をかけて、くるりと一回転。てん、てん、と出てきた玉は、なんとびっくり光り輝く黄金色。俺も朝比奈さんもきょとんとする。玉を見て、一瞬きょとんとしていた係の人は、気づいてすぐに机の上においてあったベルをけたたましく鳴らし、大きな声で叫んだ。
「おめでとうございます! 特等! 豪華温泉旅行ペアチケット!」
「すごーい! おめでとうキョンくん!」
 目をキラキラと輝かせた朝比奈さんの言葉に、俺もようやく状況を理解する。周囲の好奇の目が注がれているのに気づき、気恥ずかしさを覚えて、俺は後頭部をぽりぽりと掻いた。
 周囲の好奇の視線を浴びながらもチケットを受け取って、慌ててその場を後にする。
 商店街を多少離れてから、俺はぼやくように言った。
「……まさか当たるとはなあ」
「良かったですね」
「ええまあ」
 朝比奈さんの言葉に同意しながら、手の中のチケットの入った封筒を見る。温泉旅行ペアチケット。
 ペアチケット、というのが問題だ。せっかく当てたのはいいが、行けるのが二人だけというのがいけない。誰かを誘うにしても男と二人で温泉というのもちょっとアレだし、じゃあ女ならいいのかというとそういうわけでもなく。
 そんなわけでこのペアチケットというのは実に困るのである。正直なところ、朝比奈さんを誘ってみたいものだが、ンなことできるわけがない。断られるに決まっている。そういう関係でもないのにお泊まりなんてできるわけがない。
 両親にでもプレゼントするべきなんだろうなあ、やはり。小さく溜息をついてから、俺はふと思いついて、朝比奈さんに、
「せっかくだから、行きますか、温泉」
 などと言ってみた。もちろん、冗談のつもりである。朝比奈さんも多分、それはちょっと、と言うだろうなあと思っていた。
 のだが――
「行きます!」
 ちょっと裏返ったような感じの声で、予想外の答えが即座に返ってきた。
 思わず呆気にとられると、朝比奈さんはそこではっと気づいたのか、みるみるうちに顔を赤くしていった。
「あ、いや、その、あたし」
 あたし、の後に続くのはなんなのでしょうか。訊きたいが、訊いてはいけないような気がした。冗談です、と言うのは容易いが、行きます、と即答されてしまうと、どうにも言いだしづらい。しばし迷う。
 迷ったのだが、言ってしまった以上、そうするしかないな、という結論に至った。決して、朝比奈さんと二人きりの旅行ということに釣られたわけではない。決して、釣られたわけではない。
「……じゃあ、行きますか」
「…………」
 今度の返事は、たっぷりの時間が必要だった。
「………………うん」
 
 とまあこんなことがあって、俺と朝比奈さんはこうして早朝に駅前に集合しているのである。これはもちろん、知り合いに会わないようにするための措置である。ハルヒ達には何も言っていない。言えば何を言われるかわかったもんじゃないからだ。以前に朝比奈さんの任務絡みでデートモドキをした時には、ハルヒの知り合いに会ってしまったせいでバレたわけなので、そうならないための用心である。朝比奈さんと念入りに協議を重ねて、かなり早い始発に近い時間に出発することにしたのだ。この時間であれば、まさか誰か知り合いに会うことはあるまい、というわけだ。
「今日、晴れて良かったですね」
 そう言って俺は、視線を、空から朝比奈さんへと移した。
「そ、そうですねっ」
「……」
 見るからに、朝比奈さんは緊張している。
 無理もない。二人きりで温泉旅行。しかも一泊二日。これで緊張するなとか言う方がどうにかしている。実を言えば俺だって緊張している。一緒に泊る相手が朝比奈さんとくれば、当然だろう? 同じ部屋で寝泊まりだ。そりゃあもちろん、紳士的に振る舞うつもりだが、俺だって男だ。どうしたって妙な想像をしちまう。緊張するなって方が酷だ。
 後頭部に手をやって、俺は朝比奈さんにかける言葉を探した。
「……」
 が、かけるべき言葉は見つからない。なんと言えば良いのか。お互いの緊張を解くための言葉がどうしても思いつかなかった。
「……行きますか」
 結局、それしか言えない。朝比奈さんは、うん、と小さくうなずいた。二人、連れ立って駅の中に入る。
 目的地までの切符を買い、改札をくぐって、ホームで並んで電車を待つ。もしかして誰か知り合いが居るのではないか、と若干不安だったが、始発に近いだけに、そもそもほとんど人が居なかった。
 やってきた電車に乗り込み、揺られること数駅。そこから別の路線に乗り換える。目的地となる温泉は、県外にある。本来は車で移動するような場所なのだが、あいにくとそういう年齢ではないため、かなり時間はかかるが、電車を使うしかなかった。
 乗り換えを済ませ、座席に着く。後は揺られるだけだな、と思い一息つくと、途端に眠気が襲ってきた。緊張で前夜あまり眠れなかったのが、今になってやはり辛くなってきた。
(いかん、寝るなー)
 必死で自分に言い聞かせる。せっかく朝比奈さんと二人きりで過ごせるというのに、こんなところで眠って貴重な時間を消費してはいけない。ドリンク剤か何か買えばよかったか、と今になって後悔する。買えるタイミングはいくらでもあったというのに。大丈夫だろうと高をくくったらこの様だ。
 やれやれ困ったな――胸中でぼやきながら、朝比奈さんの方を見やる。すると、朝比奈さんはちょうど、ふわぁ、とかわいらしく欠伸をしていたところだった。手で隠してはいたものの、明らかにバレバレだった。思わず笑みをこぼれてしまったのも、無理はない。
「眠いんですか?」
 訊くと、朝比奈さんは恥ずかしそうにもじもじしながら答えた。
「うん。昨日、眠れなくて……初めてだから、男の人と二人で旅行するの……」
「……」
 思わず悶絶してしまいそうになったが、理性でなんとか耐える。朝比奈さんの初めて――というのは大いに語弊があるが――を俺が、というのはあまりにも大きすぎる衝撃だった。俺だって、異性と二人きりで旅行するのはこれが初めてだ。いや、俺の初めてはどうでもいい。とにかく、朝比奈さんが俺のことを異性としてちゃんと意識してくれていることがわかり、また、眠れなくなるくらいに緊張してくれたというのは、非常に嬉しく、誇らしく、朝比奈さんのことがこれまで以上に可愛らしく思えてしまった。
「寝ても大丈夫ですよ。こんな時間ですしね。それに、先は長いですから」
「え、でも」
「大丈夫ですって。着いたらちゃんと起こしますから」
 ――なんて言っておきながら、いつのまにか俺も眠り込んでしまっていた。
 気づいた時には目的地に着いたところで、俺は慌てて朝比奈さんを起こして、電車から飛び降りるようにして降りる羽目になってしまった。
 ガタンゴトンと走っていく電車を背負いながら、俺と朝比奈さんはそろって安堵の吐息をもらした。
「すんません俺、完全に寝落ちして――」
「いえそんな、あたしは完全に寝てましたから。謝らないでください」
 ね? と朝比奈さんが慈愛の微笑みを向けてくれる。と、ふいに俺は先ほど目覚めた時の朝比奈さんの寝顔を思い出してしまった。もっとも、すぐに降りなければ、という状況だと気づいてそれどころではなかったために、本当に一瞬目にしただけであったのだが。そしてまた、目覚めた時の格好からして、おそらく眠っていた時は、朝比奈さんとお互いに寄りかかり合っているような状態だっただろうことを思い出すと、急に気恥ずかしさのようなものがこみ上げてきた。なんとなくムズ痒いものを感じて俺は仕方なくこめかみを指でぽりぽりと掻いた。
 朝比奈さんの方はまるで気がついてないといったようで、俺のことを見、微笑んでいる。
「行きましょう?」
 彼女の方から言ってくれたのはありがたかった。
「ええ。行きましょう」
 答えて、俺と朝比奈さんはゆっくりと歩き出した。
 改札を抜け駅舎を出ると、まぶしい日の光が目に飛び込んできた。慌てて手を額にやって光を遮る。
「いい天気だ」
「晴れてよかったです」
「まったくです」
 同じように手で日光を遮るようにしていた朝比奈さんに笑いかけてから、俺たちはまず、荷物を預けられるコインロッカーを探すことにした。今日泊まる旅館のチェックインまではまだかなり時間がある。知り合いに見つからないようにと早く出てくるしかなかったため、チェックインまでの空き時間を俺たちは観光にあてることにしたのだ。
 探すと、コインロッカーは、すぐ近くにあった。やはり観光地であるだけにそこのあたりは考えられているようだった。朝比奈さんのキャリーバッグや、俺のバッグなどを大きなロッカーにしまい、少し小腹が空いていた俺たちは、やはり近くの喫茶店に入ることにした。俺はコーヒーとトースト、朝比奈さんは紅茶とサンドイッチ。飲み物と軽食を頼んで、そのまま二人でこれからの予定の確認。福引で当たった時から今日に至るまで、朝比奈さんと二人、こっそりと計画を立てていた。不思議探索パトロールの時に本屋や図書館で旅行ガイドを見たり、観光地のサイトを見たり、夜に電話やメールで相談したりして、水族館や神社仏閣、公園等々の情報を集めて決めた、二人だけのプランである。
「やっぱり最初は水族館でいいですよね。今からならちょうどいい時間に着くはずですから」
「そうですね。予定通り水族館でいいと思います」
 朝比奈さんはそう言いながら、こくこくとうなずいた。そして手に持っていたサンドイッチを、まるで小鳥のように小さくついばむように、ぱく、と食べた。つくづく、食べ方も絵になるお人である。かわいらしい。朝比奈さんがサンドイッチを食べているのをついついじーっと見つめていると、朝比奈さんはその視線を勘違いしたのか、
「あの、キョンくんも食べますか?」

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