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心の豊かさと納得感と英語論と「自由」

これ、最近の青木真也のインタビューの中で本当によかった。


思えば青木真也自体、2000年中頃のPRIDEやDREAMから知っている人は多いと思うけど、まだまだやんちゃで人の腕折って中指立てるような青木真也しか知らないならこれだけでも観てみるといい。これは本当に良い。で良かったら2018年辺りのVoicyから遡ってみると面白い。ほとんど聞き取れない声でなんかもにょもにょ話してる最高なおじさんがそこには居る。



最近、隣人のネパール人とよく飲んでるように見せかけて本当によく飲んでいる。

なんなら飲んでなくても話してる、というなんか俺の部屋に居る、し俺も奴の部屋になんか居る。というかマトンカレー美味い。


冒頭の青木真也の動画の中で心の豊かさ、貧しさに言及するシーンがあったがそれを観ていて奴との関係や色んな人間関係を少し振り返った。英語も関わってくるので今日はそこら辺も。


2016年の2月から3月にかけて学生最後、人生最後の長期休みと銘打って子供の頃を過ごしたスリランカへ一人旅兼里帰りをした(その後ロングバケーションが自分の人生にこんなにもあるなんてその時は想像してなかったが)そのあとタイへも行った。多分どっちも14年ぶりくらいに。


たくさん持ち帰る「モノ」があった中で大きかった1つが英語だった。


もっと色んな人と話したい、仲良くなりたいというまぁ至極シンプルなアホっぽい欲求が猛烈に湧き上がっていた。


幸いセンター受験の時に英単語を詰め込んだこと、大学時代を通し塾講師をやっていたことが文法文系の良い反復になっていて、残るはとにかく会話能力の向上だった。


社会人が始めると同時に、すぐにオンライン英会話を始めた。初めてやったのは当時はまだ安かったネイティブキャンプ、フィリピン人講師相手に日夜なんか色々喋り始めた。

同時にTEDTalkを猛烈に観始めた。グッときた話は夜な夜なセブンでプリントアウトして常に会社のカバンに忍ばせ社用車で昼寝しながら読み上げていた。アプリで日本語訳英語字幕をみれる機能があったのでめちゃくちゃ重宝した。


継続した。


2年半後、一人旅に出た。2年半前の旅とはコミュニケーションの幅が格段に広がった。俺は楽しかった。めちゃくちゃ。


旅には英語はほぼ必要ない論てのもよく分かる。調べりゃ大概日本語情報で分かるし、それで移動や飯や宿はなんとかなる。

俺の豊かさには必要だった。俺の納得感のためには必要だったという話なだけ。人それぞれの形があればいい。




あ〜それだわ、本当それ。。。でもまぁそうよね。。。うん。。。でもそれってさ。。。うんでもね。。。いやーでもね、そうなんだよね。


この感じを共有できる人間てのと国籍は一切一致しない。


性別世代関係なくこの感覚があれば話せるし、話せる人間てのはファミリーだ。言葉を介してヤりあえる人間はファミリーだ。俺たちがファミリーであるかどうか分かるための英語、外国語。心の豊かさに繋がるための何か(ツールという言葉はなんか使いたくない)これが俺の英語論。イエス。


そもそも我々日本人は英語コンプレックス国民なので、話せないことをなんとも思ってないフリしながらなんかは思っているし、気にしないに徹するフリももういいと思う。やり尽くされているし飽きられている。


かたや中国語やヒンディー語をHow are youレベルで話し始めたら明らかに英語のソレとは雰囲気が変わる。これを英コンと言わずしてなんというか。


確かに発音だ文法だなんだの、まぁ特に発音警察が多いが本当にビジネスレベルで要求されるならねっつー話なわけでソレに過敏になってるのは俺たち自身なわけ。誰がお前にソレを要求している。

アメリカの刑務所じゃないんだからそこまで監視社会の文化持ち込んじゃうと楽しめるもんも楽しめないぜ。


これからは英語が必要に〜とか、喋るならこんくらいじゃないと〜的なベクトルとは全く別の話を今はしている。


人と居て、話が出来る


これは尊いこと。間違いなく心の豊かさに繋がること。


そして「話が出来る人間」てのは本当もう年単位どころじゃなく刻一刻と減っていく、と同時に増えてもいく。勝手に切って切られを繰り返していくのが人間関係。


生憎世界中の人間は多くの言語を使っている。それはもう仕方ないこと、現実。

外国語を学ぶのはいい、話せる人間が増える。自分の人生で豊かな時間が増える。


旅だけじゃなくその後も色んな機会で英語が自分の人生の時間を豊かにしてくれたことが多々あった。自分の納得いく時間を増やしてくれた。

正直に言ってしまえば今はそれで小銭が稼げているが、それは感覚として本当に副次的なもので、仕事を通して出会った多くの友人達がとても尊い。自分の仕事観にも大きな影響を与えている。



自分の納得感をとにかく第一優先において生きている性質上、最近の仕上がり方は自分で自分の死が近いことを予感させるほど凄まじい。まだそうならないでほしいが。俺に足りないものは何もなく、全てが有難い。


コロナ禍になりはや1年ちょい、誰にも言い訳できず俺たちは今をドンピシャ生きている。

人と会わずして、話さず、同じ空間を共にせずして結局生きてはいけないことはこの一年俺たちは痛感した。それでもいつだって俺たちはすぐに居れなくなる。そのドンピシャ感が最高に気持ちいい。人との関係に対して安心感がないことが何より有難い。




最後に今この瞬間も俺が当たり前に感じて、権利を行使している「自由」のために命を懸けている若き友人達の国に、一刻も早い安全、そして自由が訪れることを心から祈っている。お前らの自由は絶対に続く、そのことを確実に信じている。俺たちはファミリーだ。

#Savemyanmar





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