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鳩ヶ谷に戻ります、ミャンマーに住みます。

丁度一年ぶりくらいじゃん、ノート書くの。


唐突だけど俺は今移動疲れしてます。

すごくなんか磨り減ってる、心が、移動をすることに。


今新しいシェアハウスみたいなよく分かんない荒川区の倉庫にやってきて2週間、結構ベロってます。なう。


今日唐突に書いて残そうと思った理由はタイトルの通り、鳩ヶ谷に戻ります、でミャンマーに住みます。


日本語って難しいですね、これだとよくわかんないですもんね。


俺はここ数年、すごく移動の多い生活をしてきました。

気づけば引越しの荷物も軽自動車1台で住むレベルです。今回の引越しはレンタカー代3400円だけでした、タクシーでも引っ越せる。ちなみに初期費用は20000円だけ。日本は無職にどこまでも優しい。


一応自分の整理のためにも自分が生きてきた場所の年表を書いていきますから。

1993年6月〜2000年3月 北海道恵庭市

2000年4月〜2002年3月 スリランカ・コロンボ

2002年4月〜2002年8月 北海道恵庭市

2002年8月〜2016年6月 埼玉県鳩ヶ谷市(現川口市鳩ヶ谷)

2016年6月〜2018年6月 埼玉県川越市

2018年6月〜2018年9月 埼玉県毛呂山町、北海道札幌市白石区

2018年9月〜2019年3月 中国、ベトナム、カンボジア、タイ、ラオス

2019年4月〜2019年6月 埼玉県毛呂山町、北海道札幌市白石区

2019年7月〜2019年8月 群馬県大泉町

2019年8月〜2019年9月 埼玉県毛呂山町

2019年9月〜2019年12月 北海道札幌市中央区

2019年12月〜2020年3月 埼玉県毛呂山町

2020年3月〜2020年6月 東京都荒川区西日暮里

2020年6月〜2021年1月 東京都板橋区中板橋

2021年2月〜現在 東京都荒川区東日暮里


いや、移動しすぎぃ!!!!ってなるじゃん?そうなんです、たまに自分が起きるとどこにいるか分かんなくなる、まではいかないですがまあ移動移動です。特に2018年6月以降の無職になってからの約3年間が凄まじい。ゴキブリのように国内外問わず這いずり回り延命して参りました。


そして今回荒川区東日暮里に移動してきて決定打がありました。


何も心が躍動しない、何も踊らない。


今までは新しい土地、場所に毎度躍動し、安いスーパー八百屋に心が躍り、馴染み、そして慣れてきてまた移動、ということを繰り返して参りましたが、今回は何か違う。


近隣のスーパーに行っても作業のように野菜とフルーツと肉と魚の値段をチェックし、どこを歩いてもなんにも感じなくなりつつあります。


なんかもう疲れたなぁ〜新しいとこ。。。と思いました。強烈に。


そんでそのタイミングでミャンマーにて日本語を教えるという仕事に就くことが決まりました。まともに腰据えて雇用されて働くの実に2年8ヶ月ぶりです。ウケ。


今までの移動にはその時なりの理由が全てあったのですが、今回荒川区にきたのは日本で外国人に日本語を教えるなら荒川区か新宿区が一番便利だな〜という理由だけで来ました。しかしその直後のタイミングでのミャンマー移住決定。


もう荒川区に居る意味はないんです。


今は毎日このシェアハウスからZoomを使い、将来日本で働く意欲のあるミャンマー人の方々に日本語を教えています。


正直場所を問わないなら好きなとこに住もうと、今の仕事を始めてから思うようになりました。


海外は行けないので国内だけでも選択肢は無限にある。


北海道に新しくリフォームされて出来た実家に帰ってもいいし(いい年してきた母親が一人で住んでいるのそれの心配もあるし)、いっそ関西方面、沖縄方面あたり住んじゃうのもいいし、まぁ別にこのまま今のシェアハウスでもいいし、都内でまた移動してもいいし、東北でもいいし。


結構考えました。1週間くらい。


ただ問題なのはミャンマー渡航を言い渡されるのがいつになるか分からないというところ。


今ミャンマーで大騒ぎになっている国軍によるクーデターとコロナが落ち着き次第、というところではあるのだがそうなるとすぐに出れる、入退去費用もほとんどかからないシェアハウスが有力候補でした。


もしくは実家に帰ってもいい。いつだってすぐにミャンマーに行ける。何より固定費がめちゃくちゃ浮く。


が、しかし


しかしだ


俺は確かにミャンマーに行くことになるだろう。早ければ夏前くらい?遅くても今年中なのかな?と勝手に読んでいる。


ミャンマーに何年居ることになるかは分からないが、俺には親友達と原付でベトナム縦断をするという使命もあるので(おそらく2023年か2024年頃)、ミャンマー後は少し旅の続きもするだろう。というかする。


そのあと国内なのか、海外なのか、国内だとしてもどこにいるのか、海外だとしてもどこにいるのか、現段階では見当もつかない。


多分その時も色々悩んで自分が一番納得する答えを出すんだと思う。


そうなると日本、特に関東圏内に次いつ住むのかは全く分からない。本当に分からない。


ましてや鳩ヶ谷に戻れることなんてもう生きている内にないかもしれない。


そうだ、鳩ヶ谷だ。。。。


鳩ヶ谷だ。。。。


鳩ヶ谷じゃん。。。


レペゼン鳩ヶ谷じゃん。。。俺。。。


俺は鳩ヶ谷が好きだ、大好きだ。。。。鳩ヶ谷に、戻ろう。



これが今回の経緯でした。



正直2016年6月に鳩ヶ谷の当時は実家だった場所を離れる時も自分の仕事の都合でしたし、まぁまたすぐ戻ってくんだろうと思ってた矢先に翌年実家が解散。

事実上俺の居場所はなくなりました。


そこから俺自身も約3年間、無職としてなんやかんやまぁかなり多くの方の力を借りながらサバイブして参りましたが、ここで一回鳩ヶ谷に戻ろう。。。と今もうめちゃくちゃ強く思ってます。ほんともう疲れた、どこ?ここ?


いつまで日本にいるか分からないし(まぁあと数ヶ月はいると思うが)そのあとミャンマーという新天地に挑戦するためにも心を完全に充足させ、仕上げておく必要がある。もうそうなったら本当に、俺には鳩ヶ谷しかないんです。ミスターサスケばりの必死の訴えです。


ガキの頃から大人になるまで見続けてきたあの見沼代用水の並木道を思い出すだけで心が嬉しくなります。セイユーの裏入り口から店に入るだけでテンション上がります。星野豆腐前あたりの油っぽい匂い嗅ぐだけで心が溶けます。駅前セブンの車止めに腰掛けながら食う蒙古タンメンが一番美味いんです。てかなんなら実家解散後も俺はことある度に深夜川越から車を走らせ鳩ヶ谷に行き、町を歩いて徘徊するという変質者行動もちゃんととってました。それぐらいやっぱり好きなんです。


もし半年、あと日本にいるとしても実家に帰って固定費浮かした場合の半年間と、新しくアパートを契約して持ってない家電とか最低限揃えて(今まではシェア暮らしなので俺の家電は炊飯器以外何もない)月々家賃光熱費を払い続け、初期退去費用を払った場合の半年間は金の残り方が全然違います。半年だけでも50万はくだらないかも。

今まで金勘定も移動の決定要因として大きかったのでもちろん結構迷いました。


そこまでして鳩ヶ谷に戻る意味はあるのか。。。?



ある!!!!!!!!!あるんです!!!!!!!



なんのために今まで6年間毎日ドルやらユーロやらポンドやらなんやら眺めてきたと思ってんだか、、、金の使い所はセンスです。俺は生き金なら喜んで使うよ。



だから俺は来月から鳩ヶ谷戻ります。I'll be back in 鳩ヶ谷!!5年ぶり!!イエー!!


春の見沼沿いの桜楽しみだな〜、梅雨にはカサビアンカのナメクジ眺めながら一杯やってせめて夏くらいまでは居たいな〜、鳩ヶ谷の灼熱太陽を浴びさせてくれよ。


何よりこれから毎日見沼代用水路沿いを歩けるのか、こんな幸せなことないよ。



てことで皆さん日本にいるうちに飲み行きましょう!それでは!(写真は2015年夏の暮れ、当時の鳩ヶ谷の実家マンションのベランダから撮った1枚)



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