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2024/07/03 短期的か長期的な得を求めるか

こんばんわ


この発信をするという選択は正しいのかどうか

発信することに、その裏に責任がついてまわり、小心者ゆえに大胆なことを言えずに、言いたいことを飲むことは多々あります。


夜ベッドに横になっていると、ふと小学生の頃自分とは何者だろうと感じていたことを思い出します。

今、こうして目の前にある役割や仕事に満足をせず、フリーランスの道を目指していることは、その根本はどこからくるのだろう

フリーランスとは、恐らく人生の諸問題を解決をした先にたどり着く場所と理解しています。

社会と関わっていくうえで、自分の抱える問題と避けることはできます。

しかし、今日、明日以降、未来と同じ課題に直面をします。

この問題と向き合うかどうかは本人の意識の問題で、主体的に問題を解決しようと図るか、私の問題から目を逸らして他人の課題に突っ込みを入れる。

向き合わない手段として、他人を責める選択を取る。

相手と自分の問題が切り分けずに、ごちゃ混ぜにあることに安心をする。

お互いに距離感近く、密着しあい問題から目を逸らそうとする。

けれどそれは善悪の悪に該当するわけではなくて、選択肢は誰も同じく選ぶ自由はあります。

お互いに依存し合うことを、どう捉えるか解釈をするかという話しです。

私は、依存しあっていても問題が解決されない限り、いつもまでもつきまとってくるため、それならばその場凌ぎで誤魔化せずに、向きあった方がいいと考えます。

結局は、いつリターンが来るかということで、長期的に向き合うならば、短期的な目の前の快楽に浸っている人の姿に何処か羨ましさを持っていても我慢しなければなりません。

そしてその我慢する場面はしばらく続きます。

しかし、ある時から問題と向き合ってきた成果は次第に出てき始めます。

それ以降は、問題と向きあった人が幸せを掴めるチャンスのある人生なのだと思います。

問題の少ない家庭に生まれることも、自分自身に社会へ適合していく上で問題少なく生まれたわけでなかったので、向き合わずに置いておくことも叶わなかったのかもしれません。

フリーランスになるよりかはフリーランスに結果としてなっている、
ミニマリストになるよりかはミニマリストに結果としてなっている

テストが何点であった、打率が〜割だったことは、これまでの道のりの結果で

問題はどれだけ解決されたか
どのタイミングで、どの範囲にどれだけ未解決の問題は含まれていたか

だから、道のり、目の前に見えてきた問題を解決すればきっと筋道は見えてくるはずで

だいそれたことではなく、目の前の課題を1つずつ変わらずやり続ければきっといい

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