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漫画のはなし「キスケ(2011)」

メルヘン村のTwitter

ビレバンの丸尾末広先生とか古屋兎丸先生の本が置いてあるあたりのコーナーのにおいがして非常に芸術性が高く
どうしようもなく惹かれてしまう やみ

子どもの頃 親戚たちでメルヘン村に行こうとなり
私だけ家に置いていかれた経験がありますが今ではいい思い出です


こんにちは 本日ホームページを開設しました
宮田です
遊びに きてーーーー!!!!


せっかくサイトに漫画を載せたので、
音楽でいうセルフライナーノーツ(漫画の場合はなんて言うんでしょうか)みたいな
思い出語りの記事をnoteに書きたい気持ちがありここにしたためます。
正直需要もそんなないだろうし、全部の作品について書けるかはわからないのですが…😂


こちらの

2011年に描いた漫画「キスケ」
漫画ページはこちら

についてはまず書いておきたいので、こうして文章を残しておきます。

私は小さい頃から漫画家になりたくて努力して生きてきたわけではなく
大人になっても自分の夢もやりたいこともわからずフラフラしていました。

初めてのアルバイトでお客様にウーロン茶をぶちまけてクビになるくらいの(漫画かいな)
申し訳ないほどポンコツなのですが
ものを作ったり表現することに常に助けられてきました。

絵を描くことも文章を書くことも好きで
携帯でイラストサイトを作ったりしてちまちまと創作していて
自分のなかにこの話が生まれた時、これを表現するなら漫画が良い!と思い漫画にしました。

この話が

現在かいている漫画「キスケ」の原型です

キスケがオオムラ(大村藩もどき)出身だったり
名前の漢字がちょっと違ったり(喜助と㐂助)
いろいろと設定の違いがありますが
キャラデザはこの時点からあんまり変わりません

長崎の街とかなんとか一切に関しては
おかしなイメージと、とにかくかきたい!気持ちだけで突き進んでいて、時代考証なんて皆無ですね😂
歴史漫画を描くにしては生まれもったアホさがあふれすぎている
欠点がありすぎてむしろキュート🥺
でもコマとか画面のテンポには才能を感じる がんばれ
そんな言葉をおくりたい 12年前の僕へ Uh〜(急に歌うよ)


恐れを知らない若者だったので、せっかくなのでと思い雑誌にも投稿しました

一次審査を通過し、自分の名前が雑誌に載っているのをみて
読んでくれた人がいるんやな〜と当たり前のことを思い
それだけでとても嬉しかったですね。

大学の夏休みを大胆に使って1人でこれをかいたときは
ひたすらしんど…無理…漫画家さんすご…漫画意味不明…と文字通り泣きながら描きあげたのですが
「読んでくれる人がいるなら、漫画かくの、もしかして楽しい…!?」みたいな気持ちがその時初めて芽生えました。

ちなみに次の二次審査ですぐに撃沈しました。まあそうでしょう😂


このあと時間を重ねて本格的に漫画を描きたい…と思いたち
いろんな日々を生きていきました
ちゃおさんに拾ってもらったり挫折したりいろいろありましたが
常に頭の中にはキスケが住んでいました

人生経験が増えて自分を見つめ直して
やっぱちゃんとキスケを描かんと死ねねえな〜みたいな気持ちに至り
まずイチから歴史を学び直しはじめ、長崎市の歴史文化博物館に行き、犯科帳に心奪われ…
そんなこんなで今に至ります


今まで少女まんがを細々と描いていたのに
なんで突然長崎の漫画を描きはじめたのかというと こういう流れがあったからでした。
12年前にキスケを描いたことは私のひとつの原点でもありました。
よかったら、読んでみてください。

歳を重ねるごとに昔疑問だったことの答え合わせをしたり、落としたものを拾い直していくようなことが多く、人生はどんどん楽しくなっていきます。
きっと明日はもーっと楽しくなるよね🐹 とこれからも毎日やっていけたらいいなと思います。


ここまでお付き合いくださりありがとうございました☺️

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