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後悔するのが怖いので問題を解決しない

※「耳」という漢字がゲシュタルト崩壊する恐れがあります。
「あれ?耳ってこんな漢字だったっけ?なんかシンプル!怖い!!」
となりたくない方は読まない方がいいかもしれません。

ーーー

耳がかゆいとき、
「これから良い知らせが入る」というジンクスがあるらしい。

だとすると、
「おめでとうございます。ノーベル賞受賞です。
あと、佐藤健から告白されて、なんだかんだで一緒にハワイに行けます。
それから、家の近くに空き地あるじゃないですか。あそこに…日高屋が建ちます」

くらいの良い知らせが入ってこないとおかしい!と思うほどに、
ずっと耳がかゆかった時期がある。

たしか1年ちょっと前。

かゆすぎて、綿棒で耳の穴をぶち壊す勢いでグリグリやる。
そしたらまたかゆくなって、グリグリやって……。
を繰り返し、やがて耳の中がぐちゃぐちゃになってしまった。
聞こえづらいのはもちろん、なんか液が垂れてくる。血も出る。

しかし、こんなにかゆい思いをしているのに、
ノーベル賞受賞の電話は来ず、近所に日高屋が建つこともなく、
むしろ行きつけのミスドが潰れるというニュースだけが入ってきた。
ジンクスなど存在しないんだ……と知った瞬間だった。

耳がぐちゃぐちゃなので、
仕事をしていても、楽しい行事に参加していても、
「あぁ…耳が…」と気になり続ける上に、
かゆくなってしまうともうどうしようもない。

人と話してる最中でも、頭の中がこうなる。

(綿棒のことだけを思っている図)

耳鼻科に行けば良いじゃん、と、思いますよね。
自分でも何回も思いました。
でもタイミングが合わなかったり、
「診察っていくらぐらいかかるんだろ」
「市販薬で治るかな〜」とか、
「綿棒使うのをしばらく我慢して治そう」といろんな理由をつけては行くことを避けました。
単純にめんどくさかった。

もちろん悪化し続け、
ぐちゃぐちゃな耳のことばかり気にする日々が5ヶ月ほど続く。

脳内メーカー(懐かし!)で表すなら絶対「耳耳耳壊壊壊」になってた、その頃の脳。
楽しいはずの場所も「ぐちゃぐちゃな耳のせいで全力で楽しめてない…」と、
マイナス要素がいつも顔の側面にこびりついている状態。

ぐちゃぐちゃな耳のことを考えすぎて、
ぐちゃぐちゃな耳に飲み込まれ、当時の私は、
自分が一つの大きなぐちゃぐちゃな耳になってしまったかのような錯覚に陥ってすらいました。

まぁ、さておき、仕事先でも「今日も耳がぐちゃぐちゃです」
「耳がぐちゃぐちゃで頭が痛いです」「よく聞こえない」

先輩に愚痴をこぼすほどに支障をきたし始める。
電話業務が多いADとして「よく聞こえない」なんて不便だし、
周りの人も、私の耳がぐちゃぐちゃな情報なんて聞きたくないので
「気持ち悪っ!」と言うしかない。(そりゃそうだ。むしろ優しい)

ある日、耳がぼんやり聞こえないせいで体調も悪くなり、
やっとこさ仕事場の近くにある耳鼻科を検索した。
一回調べてしまうとなんとしてもその日に治したくなり、
耳鼻科へ向かい、1時間待ちとのことで待っていると、
仕事場にいるディレクターさんから「どこにいる?」と連絡が。
「すみません今たぶん過去最高に耳がぐちゃぐちゃで、それを治そうと思って…」
と謝りながら、何をしてるんだ自分は……と思った。

お医者さんには「うわわぁっ!耳がぐちゃぐちゃですゥ!!!」
などと言われるかと思いきや、
「あ〜…お薬出しときますね」ぐらいの反応だったので、
この世界(耳鼻科の世界)では大したことないんだと知る。

もっと早く耳鼻科行けば良かった…と思いながら仕事場に戻ると、
ディレクターさんがデスクに、
「お大事に」という書き置きを残してくれており、涙が出た。
私の「耳がぐちゃぐちゃ」という言葉から、
大変じゃん!という想像をさせてしまったようで、申し訳がない。

耳鼻科にもらった点耳薬をさしていたら、
使い切らないうちに良くなった。
耳の中がツルッとして、あの毎秒襲ってきていたかゆみが無くなった時、
あぁ…こんな幸せが日常だった、そうだった、と思った。

……で、こういう時、ものすごい後悔が襲ってくる。

耳がぐちゃぐちゃになってからの、
5ヶ月ちょっと、
耳がぐちゃぐちゃだったから楽しめなかった事がたくさんあった!
その時間はもう二度と帰ってこない!

耳鼻科にもっと早く行けばよかった!

なんなら、簡単には治らず、
「あ〜やっぱりそのくらいかかるよね」と思いたかった。
所要時間が計2時間ちょっとであっさりと治るものに、
5ヶ月間も悩み、向き合い続けていたのか。

そう、意識してみると、
こういった対処していない問題が
私の人生には山積みになっている。

その問題を解決した瞬間に、
「は?こんなに人生良くなるんだったらもっと早くからやっておけば良かった」
という後悔が襲ってくるがために、
むしろ解決したくない、みたいなことが多々ある。

長年の悩みが解消されるような便利グッズを買いたくない。
人生が変わるような素晴らしい本に出会いたくない。

「この部屋暗いな〜」と思いながら暮らし続けて半年ほど経ち、
もしや?と思って明るい電球を買って交換してみたら、
見違えるように部屋が明るくなったことがある。
明るい電球に変えたのだから部屋が明るくなるのは当たり前だ!
と思えるかもしれないけど、私は大ショックを受け、
こんな簡単なことで暮らしがだいぶ良くなってしまったので、
ほの暗い中で半年過ごした時間を損した気分になった。

数ヶ月経っても治らない傷がスネにあり、
「かさぶたみたいになってる…いつ治るんだろう…」
と、良くなるのを待ち続けていたが、
ふと思いたったある日、かさぶたを剥がしてみると、
あっさりキレイにとれて、治ってしまった。
かさぶたに対し「ハァ?言えや!」と思った。

太もものぶつぶつが気になっていて、
薬を買ってみたらきれいになってしまった。
ずっと気にして、保湿だなんだと色々試していたのに。

「汚いな〜」と思ってた靴を洗ってみたら、
毎日家出る時の「汚いな〜」って感情が無くなって、
嬉しい気持ちで外に出れるようになった。
「汚いな〜」と思い続けた日々は損だと思った。
人にも思われてたかもしれないし。

最近で言うと、自分用のヘアブラシを買った。
ずっと欲しかったけど、っていうか生活必需品だけど、
何故か「買うのまた今度でいいか〜」と先延ばしにし続けて、
ブラシ付きのドライヤー(ブラシの密度が全然無いと言えば良いのか、一言で言えば「大雑把なブラシ」)で髪をとかしていた。
鏡を見るたびに、髪がボサボサだなぁと思っていた。

で、この間、他の買い物ついでに、
たまたま売ってたタングルティーザー(”なんか良いブラシ”ということしか知らない)をポイッと買い物カゴに入れた。
家に帰ってそれで髪をとかしてみたら、まとまるし、
あのボサァ〜〜っとしてた感じがなくなって、
これまた大変ショックを受けた。
今までボサボサの髪で出てしまった仕事の会議や、
友達との遊び、買い物、飲み会などが思い出され、
その時の自分の髪がこのタングルティーザーによってつるんとしている景色を想像した。
「3割増ぐらいで印象良くなってただろうなぁ」
と思えて、あ〜、化粧とかネイルとか細かいお手入れとか、
私にはこういう課題がたくさん残ってるのか、と気が遠くなった。

読むと人生が変わる本など、とても怖い。
今まで知らなかったことを知ることで人生が変わってしまうのが。
そして、その内容が自分の人生にとって大切であれば大切であるほど、
「もっと早くに知っておけば良かった」という後悔が大きくなるので、読めない。

まだ見ぬ尊敬する人に出会うのが怖い。
もっと早く出会っていれば、
自分の考えは変わっていたのに、と思うかもしれない。

そして今、怖いなと思っていること。

最近、太り過ぎたので、スクワットをしている。
(100回すればロング缶の酒を1缶飲んで良いというルールを作った。
 毎日300回出来ている。3缶飲みたいので。)

パンパンの顔がちょっとずつマシになってきており、
「えぇ〜、痩せて可愛くなったらどうしよう」と、本気で思っている。
だって痩せて可愛くなってしまったら、
学生時代〜今までの全てを後悔してしまいそうじゃないですか?

努力して痩せていてそれなりの見た目だったら、
机の周りにもっと人が集まる学生生活だったんじゃない?と。
何度も読んだ本を熱心に読んでいるフリをして過ごした休み時間、
あの全てが変わってたかもしれなくない?と……。 あ、切な

だから、可愛くなければ良いな、
「あ〜こんなもんね」ぐらいのツラ、スタイルになったら良いな、と思ってます。

めっちゃポジティブですね。

後悔することは嫌いだけど、
「後悔してしまうのではないか」と思いながら、
何かを解決していくことはとてもポジティブなことなのかもしれないですね。

それだけこれからの人生に改善の余地があり、
希望があるということですもんね。

皆さんも綿棒の使い過ぎにはお気をつけくださいね。

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