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研究ノート:天野氏

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母方の先祖・天野氏に関する研究ノートまとめ。 ガチめなのからユルめなのまで。 現在進行形で調査研究中なので、改稿されたりする可能性もあります。
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#人文学

【研究ノート:天野氏】序 伊豆の国市天野

母の旧姓は天野といい、先祖は維新時まで旗本であった。松平氏が西三河を支配し始めた最初期に従った一族で、元は遠江の犬居城主だった遠江天野氏の出だという。 遠江天野氏は、頼朝の挙兵時より従った天野遠景を始祖とする。 天野氏は一般に藤原南家為憲流といい、遠景の父・藤原景光が伊豆国田方郡天野郷(現静岡県伊豆の国市天野)に住んだことから天野を称したのが始まりとされる。 自粛が始まる前の2月末、初めてその地を訪ねてみた。 天野氏の本貫、伊豆の国市天野。以前は伊豆長岡町天野であった。

天野氏の出自【研究ノート:天野氏】

天野氏の出自には3つの説がある。 ①藤原南家為憲流 『尊卑分脈』南家祖左大臣武智麿四男乙麿孫の系譜、入江維清(為憲の曾孫)の子「清定・・・景澄・・・景光・・・遠景」とある(点線だから養子ということだろうか)。 ②藤原北家魚名流(山蔭流) 『尊卑分脈』贈太政大臣藤原朝臣房前五男左大臣魚名孫の系譜、山蔭の六代孫相継の曾孫「兼盛―遠兼―遠基―遠景―遠連」とあるが、この遠景を天野遠景とする説。 ③後三条天皇の第三皇子輔仁親王後裔 尊経閣文庫所蔵『天野系図』に「輔仁親王―隆輔中将

天野氏は「何譜代」か?【研究ノート:天野氏】

徳川家の譜代家臣は多くいるが、それらを「いつから徳川(松平)家に奉仕したか」で区分する考えが古くからあり、「◯◯譜代」という表現をする。 『柳営秘鑑』では安祥(安城)城に在城した信光・親忠・長忠(従来長親とされてきたが、最近では長忠とするのが一般的という)・信忠の4代の間に奉仕した家臣を「安祥譜代」、清康が山中・岡崎を攻略した以降の家臣を「山中譜代」、駿河を領してから奉仕した家臣を「駿河譜代」としている。 さらに『武徳大成記』は、親氏・泰親・信光までに仕えた家臣を「岩津譜

土用【研究ノート:天野氏】

今日は土用の丑の日である。 この日に鰻を食べるようになったのは平賀源内の発案によるもの、という俗説があるが定かではない。江戸時代に始まる習俗であるのは、確かなようだ。 土用は夏に限ったものではない。春にも秋にも冬にもある。 土用とは四立すなわち立春・立夏・立秋・立冬の前18日間をいい、要するに季節の変わり目をいう。土用の最終日は四立の前日であり、つまり節分である(節分も春に限ったものではない)。 陰陽五行説で春夏秋冬はそれぞれ木火金水に当てはめられたが、残った土気をその間