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研究ノート:天野氏

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母方の先祖・天野氏に関する研究ノートまとめ。 ガチめなのからユルめなのまで。 現在進行形で調査研究中なので、改稿されたりする可能性もあります。
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#三河天野氏

【研究ノート:天野氏】序 伊豆の国市天野

母の旧姓は天野といい、先祖は維新時まで旗本であった。松平氏が西三河を支配し始めた最初期に従った一族で、元は遠江の犬居城主だった遠江天野氏の出だという。 遠江天野氏は、頼朝の挙兵時より従った天野遠景を始祖とする。 天野氏は一般に藤原南家為憲流といい、遠景の父・藤原景光が伊豆国田方郡天野郷(現静岡県伊豆の国市天野)に住んだことから天野を称したのが始まりとされる。 自粛が始まる前の2月末、初めてその地を訪ねてみた。 天野氏の本貫、伊豆の国市天野。以前は伊豆長岡町天野であった。

天野氏の出世頭・天野康景【研究ノート:天野氏】

松平氏→徳川氏に仕えた天野氏は数多くいるが、大名にまで取り立てられたのはたった一人である。 それを天野三郎兵衛康景という。 康景は天文6(1537)年、三河国坂崎(愛知県額田郡幸田町坂崎)で天野甚右衛門景隆の子として生まれた。家康より5歳年長で、駿府人質時代より小姓として従った。 永禄8(1565)年には本多作左衛門重次、高力与左衛門清長と共に三河三奉行とされ、「仏高力、鬼作左、どちへんなきは天野三兵」と称されたという。「どちへんなき」を漢字で書くと「何方偏無き」で、どち

三河天野氏の代表に天野康景を挙げると三河天野氏の本質を見誤る【研究ノート:天野氏】

前回の記事で天野氏の出世頭として天野三郎兵衛康景を紹介した。 実は三河の天野氏の中で康景の家系は「異端」なのだと述べたが、まずその系譜を見てみよう。 天野康景の系譜康景は三河国坂崎(現愛知県額田郡幸田町坂崎)の生まれとされるが、三河へやって来たのは祖父の遠房で、家康の祖父である松平清康に仕えたという。 寛政年間(1789-1801)に江戸幕府が編修した大名や旗本の家譜集『寛政重修諸家譜』(以下『寛政譜』)によると、次のような系譜となる。 天野左近右衛門定景―甚右衛門遠直

天野氏は「何譜代」か?【研究ノート:天野氏】

徳川家の譜代家臣は多くいるが、それらを「いつから徳川(松平)家に奉仕したか」で区分する考えが古くからあり、「◯◯譜代」という表現をする。 『柳営秘鑑』では安祥(安城)城に在城した信光・親忠・長忠(従来長親とされてきたが、最近では長忠とするのが一般的という)・信忠の4代の間に奉仕した家臣を「安祥譜代」、清康が山中・岡崎を攻略した以降の家臣を「山中譜代」、駿河を領してから奉仕した家臣を「駿河譜代」としている。 さらに『武徳大成記』は、親氏・泰親・信光までに仕えた家臣を「岩津譜

山梨県に天野姓が多い理由を考えてみた【研究ノート:天野氏】

今回は単純な疑問の検証。 天野さんは何処にたくさんいるのか実は、親戚以外の天野さんには実際にお目に掛かったことがない。学校にも職場にもご近所にも、知っている範囲には天野さんはいなかった。 2007年10月までに発刊された全国の電話帳に掲載されている約2,338万世帯の情報をもとに、分布・ランキング情報を掲載しているサイト「写録宝夢巣」によると、天野姓が日本で一番多いのは愛知県の2,444件で、愛知県内で81番目に多い姓である。 次いで多いのが静岡県の1,754件(76位