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研究ノート:天野氏

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母方の先祖・天野氏に関する研究ノートまとめ。 ガチめなのからユルめなのまで。 現在進行形で調査研究中なので、改稿されたりする可能性もあります。
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2020年6月の記事一覧

【研究ノート:天野氏】序 伊豆の国市天野

母の旧姓は天野といい、先祖は維新時まで旗本であった。松平氏が西三河を支配し始めた最初期に従った一族で、元は遠江の犬居城主だった遠江天野氏の出だという。 遠江天野氏は、頼朝の挙兵時より従った天野遠景を始祖とする。 天野氏は一般に藤原南家為憲流といい、遠景の父・藤原景光が伊豆国田方郡天野郷(現静岡県伊豆の国市天野)に住んだことから天野を称したのが始まりとされる。 自粛が始まる前の2月末、初めてその地を訪ねてみた。 天野氏の本貫、伊豆の国市天野。以前は伊豆長岡町天野であった。

天野氏の出世頭・天野康景【研究ノート:天野氏】

松平氏→徳川氏に仕えた天野氏は数多くいるが、大名にまで取り立てられたのはたった一人である。 それを天野三郎兵衛康景という。 康景は天文6(1537)年、三河国坂崎(愛知県額田郡幸田町坂崎)で天野甚右衛門景隆の子として生まれた。家康より5歳年長で、駿府人質時代より小姓として従った。 永禄8(1565)年には本多作左衛門重次、高力与左衛門清長と共に三河三奉行とされ、「仏高力、鬼作左、どちへんなきは天野三兵」と称されたという。「どちへんなき」を漢字で書くと「何方偏無き」で、どち