女ともだちの文通 9

沙也加

この前はありがとう、たのしかったね!また今年もたくさん会って心ゆくまで語り合えればうれしいかぎりです。
といってる間に今年もひとつきと半分が終わろうとしています。
私は、約5年間つづけた英会話のレッスンをやめます。週に一度、日曜の朝早くにSkypeをつなげてうけていたレッスンです。オーストラリア人の、S先生とマンツーマン。彼は初めて会ったときからずっと、自分のことはS先生(Mr.S)じゃなくてSって呼んでほしいっていうので、私はそう呼んでいました。親子ほど年のはなれた私たちだったけれど毎週いろいろな話をそれこそ膝を交えて話し合いました。
Sの好きなもの(ピザ、アイスクリーム、リコリスの入ったチョコレート、夏、古いポップス、彼の大きな犬…などなどなど)について、彼の故郷のことについて、それから、彼の子ども時代のことも、日本に来たてのころ小学校に勤めていたときのことや、彼の日本人の奥さんのこと、20年も前に北海道を旅行してあるいた話…などなどなど。もちろん私の方もたくさん話した。
最近Sは奥さんが出ていって(離婚はしていないようです)彼は彼の大きな仔犬と二人でくらしていて、今は関東に住んでいるのだけど、そのうちもっと地方に住みたいと言っています。古民家を買ってきれいにして、ゆっくりくらしたいんだって。海の近くがいい、と、彼は言います。長い長い浜辺を、彼の大きな仔犬(まだ1歳なんだけど30kgもある、立派な白い犬なの!)とともに、朝夕散歩して、夏には泳ぎにも出かけたいからって。彼は泳ぐことも、とても好きなのです(あの巨体をどんな風にたくみに使いこなして泳ぐのだろうか…?まかふしぎ)。50代半ばの、白人の、サンタクロースのような見ための、英語教師。と、私。なかなか交わることのなさそうな私たちの人生だけれど前職で英会話教室が始まったことを通じてしり合って、私が離職してもなお英語を勉強する面倒をみてくれて、彼とは少しは長い仲となったのでした。
前に話したけれど、今年私は色々なものを手放し、整理し、調整する年にしようと思っています。このむやみにいろんなものを手放していく感覚は、3年前に仕事をやめてしまったときの感覚と、少し似ているの。すべてはあっけなく、私の元を離れていく。私のほうも、そのことに執着がない。
そしてどこかへ、私は流されていく。…いつもそういう気がする。
ねえ私の手紙ってそんなことばかり書かれてない?(笑)

仕事を捨てて、一人暮らしを捨てて、20代のキャリアを捨てて、新卒で入った会社をやめた時、あの頃の私は春風のように(というと、聞こえがいいけれど)、本当に春風のようにつかみどころがなくて、たんぽぽの綿毛と一緒に、散り始めた桜の、うすいピンク色の花びらと一緒に、ハラハラと何処かへ流されていく存在でしかなかった。
新しい季節から、また次の季節へ、何かの予感をはらんだ、生まれたての風。…なんて聞こえはいいけれど、結局私は地に足をつけられないままってことかもしれない。
根を張ることなく、ひたすらに流されて、ひたすらに飛んでいく…
でも、まだ私はこの導きのようなものにのんびりと身を任せていくつもりです。’’ときがきたらわかる、わからないことは、きっと今はまだ知るべきではないってだけ’’ってだれか言ってなかった?
それでは!

p.s. 
この手紙の下書きをgoogleドキュメントにしたためたその晩、とんでもない悪寒→その後高熱→次の日コロナ陽性となりました(笑)
今日には熱は下がり徐々に回復しつつあります。
その間にお塩のお土産うけとりました!ありがとう!!
大切に使います。
悔しくも春のようなあたたかい一週間でおさんぽにもよさそうだし、色々と予定も入れて楽しみにしていたんだけど…健康第一ですね(泣)
沙也加におかれましてはこの好天を存分に享受できていますように…
時節柄とにかくご自愛下さい...



M

’’好天’’を’’好夫’’と読んでしまい、Mに直接LINEで確認するという野暮なことをしてしまいました。
こんな自分はおそらく、周りの人が死に際にダイイングメッセージを残しても解読ができないと思います。先に謝っておきます。ごめんなさい。

この手紙で伝えないといけないことは自分の転職のことです。踏み切った大きなきっかけは、友人から誕生日プレゼントとしてもらった町田そのこの『夜明けのはざま』を読んだことにあります。
葬祭ディレクターとして働く女性の話で、彼女と彼女を取り巻く人物たちの人間模様が描かれています。
共感できる部分は多く、細かい感情の動きは様々ありましたが、中でもとりわけ感じたのは悔しさです。
主人公が、なぜ葬祭業をするのか、という否定的なニュアンスをはらんだ質問を投げかけられる度に、にじみ出るような悔しさがありました。
取り巻く人物たちが主人公に葬祭業をしてほしくない理由がわかる描写もあり、納得の余地はあったものの、それでも尚にじみ出る悔しさを完全に消化することはできませんでした。
おそらく自分は、まだ葬祭業に未練があります。
もともと一緒に住んだ元彼から「今を生きることが大事」と言われたことをきっかけに、今を生きる人のために働くと志したことで始めたのが今の仕事です。
彼とは別れてしまいましたが、この仕事を介して、自分はたくさんの人生に触れてきました。その一つ一つが、再度葬祭業に挑戦するための勇気を与え、自分を今へと導いてくれていたのだと思います。
こうして、自分も導きに身を任せていくほかないのかもしれません。

どんな時代にも、どんな存在にも、喜びと悲しみがあります。
そして、その全ての時代、存在を経て、自分たちがいます。
だから、自分たちは、自分の人生を全うしなければならないのだと思います。導きに身を任せるとは、そういうことだとも思います。
S先生も、きっとそういう気持ちなのではないでしょうか。
自分は、自分を含めた全ての生を肯定するために、もう一度死に向き合いたいです。
たとえダイイングメッセージが解読できなくても、解読できる誰かに託す、そんな感じでいたいです。

といいながら入団予定の吹奏楽楽団の活動に時間を割くために葬祭業ではない仕事を選ぶ可能性も0ではありません。
それもまた生の肯定、ということにしておいてください。

手放し、整理し、調整する
お互いにいい年にしましょう。


沙也加

p.s. 自分もこんなことばかりしか考えていないので、Mもそんなことばかり書いていいよ笑

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