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外見に執着する理由


"かわいい"はコスパが良い。


わたしはずっと自分のことを“かわいいを求められない側”の人間だと思っていた。とてつもない思春期ニキビに悩まされデコボコの顔面だったし、そのうえBMI27レベルのガタイの良さ。幸いにも顔のパーツの配置だけは悪くないと謎に自負していたため心を病むことはなかったが、雑誌やテレビに出ている陶器のようなお肌に白くて細い手足をもつ同世代の女の子たちはアニメのキャラクターと同列のような、わたしとは違う、架空の生き物だと感じていた。

どうしてわたしが自分の顔のパーツは悪くないと思っていたのかと言うと、小さい頃から母親や親戚が美人だと褒めてくれていたことと、「デブ」と悪口を言われたことはあったが「ブス」と言われたことはなかったからだ。いま考えれば「ブス」より先に「デブ」がきてただけの問題だと思うが、ナイスマインド。


学生時代を"ニキビデブ"として生きてきたわたしだが、社会人になり過重労働という名の極限ダイエットで-20kg達成。

人間は中身なんてよく言ったもんで、20kgのダイエットに成功したわたしから言わせていただきますと、中身を見てもらうためには見てくれ良くしておくのが手っ取り早いのです。どんなにおいしいと言われるチョコレートでも、アルミホイルに乱雑に包まれてあるものと丁寧に折り箱に入れてあるもの、あなたはどちらを手に取りお買い上げいたしますかという話でして。


太っていることやニキビがあることが全ての人にとっての悪とは思わないし、他人の外見がどうであろうとわたしには関係のないことだと思っているが、わたしという一個体は太っているよりも痩せている方がずっと"かわいい"し、痩せているわたしの方がわたしはすきだ。


"ニキビデブ"と"かわいい"を両方経験して思うのは、やっぱり"かわいい"は得が多い。

記録的大雪の日、やっと動き出した特急列車、身動きできない満員を超える満員。ぎゅうぎゅうに押し込まれ誰かのかばんを踏んでいたが足を動かす余裕もない状況。隣に立つおじちゃんに「呼ばれてますよ」と言われ、指さす方を見るとペコペコと会釈する男性。他人。周りの方々がどうにかこうにか避けてくれ近くまで行く。近くで見ても、他人。状況が読めずにいると、他人が言う。「すみません、ここどうぞ。」 …他人、改め、聖人。お礼を言おうと振り返ると聖人は人波に流され車両の奥に行ってしまっていた。隣の座席に座っていたマダムに「いまの知らない人なの?美人は得ね。」と言われた。そう、美人は得なのだ。わたしが美人かどうかはさておき、聖人がわたしに席を譲った本当の理由も不明だが、とにかく「美人は得ね」と言われる経験をしたのだ。

きっとわたしが今より20kg太っていたら、聖人はわたしではなく他の人に譲ったかもしれないし、仮に譲っていただけたとしてもマダムがわたしを見て「美人は得ね」とは言わなかっただろう。


こんな漫画のような美人は得ねエピソードは二度とないと思っているが、日常生活でも"かわいい"ほうが周りは率先して動いてくれる。これは一個体が"ニキビデブ"と"かわいい"の両方を経験しているからこそわかる。生粋の可愛い人には物心ついた頃から当たり前の日常だろう。"かわいい"と周りが気にかけ動いてくれるので楽ができる。心に余裕ができる。余裕ができるから人に優しくできる。優しくするとさらに周りも優しくしてくれる。笑顔が増える。ギブアンドテイクでスマイルなワールド。"かわいい"はとにかくコスパが良いのだ。


なのでわたしは女性らしい香りを纏いキラキラしたコスメで武装し、外見に執着する。笑顔もお忘れなく。


ちなみに、外見はマインドで変わるものだと思っているので、その話はまた後日。


おわり


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