知らなくても良いこと

 結婚した私がしばらく実家に帰っていた時、母の留守中に居間を掃除していて、押入れに偶然母の日記を見つけてしまった。
その時なぜか開いてしまって、たまたま読んだページには、母が妊娠していたという事実が記されていた。

「ショックだった」と書かれていた日記は、私が小学生高学年の頃のもの。おそらく母は、四十代半ばで、もしそのまま妊娠を継続していたら、私にとって妹か弟が生まれていた。
末っ子の私には願ってもない出来事になっていたのだろう。

 当時長兄は高校生で、高校受験のころから、穏やかではない状況を幼い私は見せられてきた。両親も言い合いが絶えなかったし、とても良い家庭だったとは、振り返っても思えるところがない。
そんな環境で年の離れた子が生まれたとしても、犠牲になるのは弱くて小さい子だったろうから、母が妊娠を継続しなかったという事は正しい判断だったのだと思う。
 
 しかし時が過ぎ、その事実を知ってしまった私は、その事実よりも、妊娠が母にとって喜ばしいことではなく、ショックだったということに私はとても重い気持ちになった。

なぜ人の日記を見てしまったのか、と責められるのは私の行為なのだろうけれど、その時の私はそこに母の日記があるとは思わず、襖の埃を払おうと押し入れを開け、中のノートの山の埃を何気なく払った時に、それを読んでしまったのだ。
偶然読んだページが、たまたまそのページだったのだ。

 嫁いでからすぐ、私は妊娠した。初めての妊娠に心身共にバランスを崩し、嫁いだばかりの年末年始は自室に籠もりきりになった。
年月が経てば、仕方ない状況だったと思えるが、私は舅姑小姑に執拗に責められ、妊娠を継続することができなかったのだ。
その退院後、医師の奨めもあり、実家にしばらく帰っていた。
 お腹の子を失ったばかりの私が、あの日母の日記を見つけてしまったのは、偶然ではなかったのかもしれない。