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私たちは素敵な世界に生きている。


今回は、旅の初っ端から盛りだくさんだった。

八年ぶりだろうか、思わぬところで同級生に会った。

八年ほど前に、直接話したのか、メッセージのやりとりだったか、思い出せないが、彼女が窮地に陥っていることだけはわかった。
私は、信じられない彼女への仕打ちに言葉を失った。
なので、その時も要領をえないことを言ったと思う。

島に住んでいれば、島のルールがある。
島の外の人からみれば、あり得ないと思うかもしれない。

でも、確実にある。
そして、個人はそれを回避できない。
どうやっても。

なので、彼女を窮地に立たせた側の気持ちも分かる。
彼女の傷ついた気持ちも分かる。
だから、言葉を失うのだ。

彼女の母親と私の母親は親しくて、その後、風のうわさは何度か聞いた。

今回、宮古島で、その彼女が私に声をかけてきた。
思ってもみない場所だった。

ミャークヅツという祭祀行事を見に行ったからだ。

私は、そこの人間ではない。でも、親しくしている友人が何人かいる。
家族ぐるみでもある。

他地域の祭祀行事は、他地域の人はあまり顔を出さない。
それは神聖なものだから。
行く人は、望みを託している。決心や覚悟がある。

私は、今回、宮古のありのままを見せたいと思う本土の友人たちといっしょだった。
なので、空港から漲水御嶽、そしてそのミャークヅツという祭祀行事へと急いだ。

正直、気が引けた。

宮古に長年住む友人に勧められて行ってはみたが、そこで、私はどんな振る舞いをすればいいのか、と車中で考えた。
なぜなら、祭祀行事は見世物ではないからだ。

着いてみて、明るい雰囲気にホッとした。
数十人のギャラリーもいた。
そのなかには、宮古嫁や宮古に魅せられて住み着いた本土の友人もいた。
彼らはいつもひっそりと眺めている。

地元のマスコミは取材という大義名分でいつも堂々とふるまっている。

私は、一緒にきた友人たちと離れて、昔と同じように、記者のようにふるまった。
こういう時は堂々とふるまった方がいいと判断したのだ。

その集落の知り合いを探し、話をした。自由に動いた。
祭祀行事のわきを、あえて遠慮深くなく歩いた。

それが、私が連れてきた人たちにとっても、最終的には良い。
自分が連れてきた人が誤解を受けた時に、すぐに私に全責任があるということを引き受けるふるまいでもある。

友人の話からそれたが、それは、実は遠からず関係している。
だからこそ、彼女は私を見つけ出したのだ。

そして、祭祀行事をしている夫を探し出し、私に会わせてくれた。

その前に「素敵な人なんだよ」と彼女は笑った。
私の手を引っ張って、祭祀の中へ連れて行ってくれた。

彼女が幸せになってくれて本当に良かった。
いろんな大変なことがあるかもしれないけれど、彼女はきっとずっと気丈だった。

そして、私に「この人が私の味方なんだよ」と見せてくれた。
それも絶対的な味方を。

味方同士を引き合わせてくれた、という感覚になった。

なぜなら、私も彼女も、その集落の人間ではない。
夫の側から見れば、私も他集落のカテゴリーに入る。
宮古はひとくくりにできない。

握手した手が温かかった。
もしかしたら、しなかったのかもしれない。
でも、彼の手触りのようなものが私にはしっかり残っている。

それは、彼女が温かく素敵に引き合わせたからだ。

まず、彼女がその集落との関係をつなぎ、そこで生きていることを私に教えてくれた。
私は、そもそもの知り合いと、また新しい彼女の夫というつながりを得た。

これは、ただのつながりではない。
デリケートな祭祀行事の場所で、思い出深い出会いなのだ。

どう言語化して良いか迷う。

同級生の夫に、集落の祭祀行事で出会った。
言葉にすれば、その一行で終わる。

でも、そうではない。
言葉にできないさまざまなものが、感じ取れる。
それは、島のいにしえの人の思いのようなものなのだ。

島では、人と人のつながりはゆるやかだ。
そこには多種多様なグラデーションが存在する。

実は日本人の「察する」という細やかさよりも細かいのではないかと思う。

私は、今回、他集落の見えない線を、見えないふりしてこえた。
それがいいかどうかわからない。

ただ、いろんなひとにとって、その方がいいと思ったのだ。
それも直観的に。

私たちは、素敵な世界に生きている。
私が言葉に出さない怖れを、八年ぶりの彼女は読み取ったのだ。
心の目で。

そして、私が連れて行った友人も、私がなぜそうふるまうか、わかってくれていた人もいた。

それはとても優しい。

だから、私は素敵な世界に生きている。
すべてが温かかった。

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