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20191216 移住者ブロガーへの反論 vol.1

やることあるだろ。自分に言い聞かせています。とりいそぎ、一時間だけでも書いておきたいです。

こんな深夜に目がさめて、思わずFBを開いたら最期、書かずにはいられない。個人的見解に、個人的見解を公で求めてみる、という感じです。

なんだか本当にかなりストレートに書きそうなので、心臓の弱い移住者さんは読まないほうがいいかもしれないです。ずっと住んでいる宮古の人にも叱られそうでもある。けど、書きます。

なぜなら、目に余るから←個人的な見解です。

実は、この方のブログ、私はたまに読んでおりました。なんかちがうな、とも思っていたので、最近はめっきり読まずにいましたが、FBでシェアされた方がいたので読んでみようかな、と思いました。

前提として、彼か彼女かわかりませんが、苦労と葛藤があるのは本当にご愁傷様だなと思います。ですが、自分目線の歪んだ事実ばかりを書かれても島人としては困るので、公益性の観点からも、個人的な観点からも反論したいと思います。私は、宮古出身者なだけで、別に専門家でもないので。

さて、まずはここからいきましょう。

ナイチャー差別のリアル~沖縄移住者の苦悩~

まず、差別という言葉ですが、あまりにもざっくりです。そして「沖縄移住者の苦悩」ではありません。「沖縄一移住者の苦悩」ではないでしょうか。

なぜならあなたは代表ではありませんし、平均的な移住者とも思えません。そもそも平均的な移住者という言葉も書いていてあやしいなぁと自分でも思います。「普通の日本人」という言葉がよく考えればおかしいように、あなたの「沖縄移住者」はあまりにも大味です。

沖縄に来てからよく耳にするようになった「ナイチャー」という言葉。県外の人「内地の人」を意味する沖縄方言ですが、沖縄で生活するようになると「ナイチャー」という言葉の裏にある差別的な意味合いを感じずにはいられなくなります。

はい、そのとおりです。「ナイチャー」という言葉はあります。ですが、年配の方たちは、尊敬の意味をこめて「やまとぅ」「やまとぴとぅ(大和人)」とも呼びます。今は、大体の人が「本土出身者」「本土の人」と呼びます。これは、宮古や石垣の人が「沖縄本島」と呼ぶ、とても歴史的な意味も込めていると思います。詳しくは、宮古島市史を読んでください。

公的な宮古島市史ですら、章立てするときに、薩摩侵攻(宮古島市史では侵略と書いています)や戦後など、島の自らの尺度を持って歴史を語っています。日本のように、いわゆる鎌倉時代、明治時代というような分け方ではありません。それは、島外からの人やモノの流入や政治的圧力が、島の歴史にどれだけ影響を与えたか、島の知識人たちが少ない資料の中から丹念に編み出していると考え、私は先人たちへ感謝の念でいっぱいです。

ここに直接関係はありませんが、前提を語るなら、島の背景もわかりやすくお伝えしたほうが良いと思っています。あくまで、個人的な見解です。他の資料もあると思うので、それを参考にされると良いかもしれません。・

さらに、ナイチャーは昔からの沖縄方言ではありません。先に書いたように本土の人が寄留商人だった頃や、日本軍の人間だった頃は、なかったと思われます。なぜなら、そう呼ぶことすら許されなかったでしょうから。

人頭税の頃、島の人は馬に乗ってもいけませんでした。詳しくは宮古島市史をお読みください。

沖縄生活5年で感じた沖縄のナイチャー差別のリアルについてまとめました。

ここで「差別」という言葉の前提を考えてみます。

さべつ【差別】
《名・ス他》
1.差をつけて扱うこと。わけへだて。
 「―待遇」
2.区別すること。けじめ。

私は、あなたが「差別」という言葉をつかって、センセーショナルに書いたことに違和感を感じます。宮古の人は、十把一絡げに「差別」しているひとだけでしょうか?区別の人のほうがおおかたかと思います。

くべつ【区別】
《名・ス他》それとこれとの間に認める違い。また、それをこれと違うもの(種類)として扱うこと。

さらに、差別という言葉を深めていきましょう。wikiからの引用です。学問的ではないとは思いますが、現代の集合知という意味で使用します。

差別(さべつ)とは、特定の集団や属性に属する個人に対して特別な扱いをする行為である。それが優遇か冷遇かは立場によって異なるが、通常は冷遇、つまり正当な理由なく不利益を生じさせる行為に注目する。国際連合は、「差別には複数の形態が存在するが、その全ては何らかの除外行為や拒否行為である。」としている。ある事柄を差別と判定する場合、告発する者の伝達能力・表現力と受け手の感性に因るところが大きく、客観的事実として差別の存在を証明するのは実際にはそれほど簡単ではない[2]。差別に伴う不条理な事例は第三者には比較的共感を呼びやすいが、差別をする側にいる人々にそれが差別であると認めさせるには困難が伴い、差別問題が差別か正当な区別かで争われる事例も珍しくない。差別を理論的に説明するにはまず差別の定義を行う必要があるが、平等・不平等といった価値命題は科学的に論定することができない。差別は普遍的な実体とし存在するものの、その定義付けは困難であり、定義不能とする研究者も少なくない。

ここにも書いてあるとおり「ある事柄を差別と判定する場合、告発する者の伝達能力・表現力と受け手の感性に因るところが大きく、客観的事実として差別の存在を証明するのは実際にはそれほど簡単ではない」は、私も納得します。だからこその、「沖縄一移住者」という言葉がふさわしいかと思うのです。

平等・不平等といった価値命題は科学的に論定することができない。

これは、私がもっとも気になる箇所です。平等、不平等には、歴史的文化的文脈があります。簡単に断定はできません。ここからは自論になりますが、書かせていただきますね。

人は、生まれながらにして不平等だと思います。ご存知のとおり、この世に生を受けるという意味では平等ですが、生まれてきた地域、両親、体質などなど、それ以外はすべて不平等なうえで、人が育つ仕組みになっています。

私は、最近、その不平等さえも個性の一部だと考えています。誰一人としてまったく同じ人はいませんから。似ている人はいるかもしれませんね。

だからこそ、あなたが使う「差別」という言葉には、「私たちは、不平等に不利益をこうむっている。現代社会は、島は、平等に受け入れるべきだ」という傲慢さというか、エゴを感じるのです。

その傲慢さがある限り、あなたが本文で訴えていることは、あなた自身の感想や事実でしかなく、公の見解とは思えません。この文章を島の人や島に関わる人、楽しくやっている移住者を傷つける可能性があります。

責任を持って書こうと思う人は「自分が主張すること」と「(不特定多数の)人を傷つけない」という天秤にはかりながら、文章を書いていると思います。実名でもなく、無責任な中傷にも近い言葉を使う人には、傲慢さを感じるのです。

ですが、たしかにあなたが感じている側面もあると思います。それなら前向きな解決法を書いてくだされば、ありがたいのですが、先には「降伏」というような言葉を使って、さらに逆差別を煽るような書き方であることも、あなたの問題でしかないという風に感じます。

ネガティブなことを書くときは、自分をさらしたくない、という恐怖心もあると思います。ですが、その恐怖心が「島の人から5年間で島の野菜をいちどももらったこともない」という境遇に陥らせるのではないでしょうか?

正直、変わった移住者のひともたくさんいますが、一度も島の人から無償で恩恵を受けていない人は見たことがありません。

ここからはさらに個人的な見解ですが、私は島出身で東京に住んでいますので、おっしゃるように差別的なことを言われたり、されたりすることも多いです。ですが、私は「東京差別のリアル」という言葉は使いません。

なぜなら、差別されることも区別されることもありますが、そうしたくない、そうしない人も大勢知っているからです。そして、宮古島では得られなかったような視点や友情を育むことができました。本当に有り難いことだと思っています。なので、私が「東京差別」ということを、このようなトピックで書くことはないと思います。

あなたの島の生活で、島の人とわかりあえない辛さがあるとしたら、どうぞ勇気を持って、そうでない人たちと交わることや、本音で語り合うことをおすすめします。ご夫婦二人で、せっかく宮古島に移住したのですから、殻に閉じこもって、悪口を書いている暇があったら、外に出てみてはいかがでしょうか?すぐには無理かもしれませんが、徐々にはいかがでしょうか?

そして、もし、それでも刀折れ矢尽きたら、宮古から去ることも一考されると良いと思います。まわりが敵ばかりなんて、精神衛生上良くないです。

あなたの人生ですから、私がとやかく言うことではありませんが、目にしてしまった以上、お伝えしたいと思いました。前提や背景や文脈を、あなたの暮らしていた地域といっしょにすることは、すでに上から目線で対等ではないということを伝えたかったからです。

また続きを書きますね。


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