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2018SEP21 人の喋りはカオスだ。そのカオスに本質がある。

昨日、久しぶりに北海道で働く友人が訪ねてきてくれた。

先の地震で大変だったみたいです。彼女は要職についているので、特に大変でほとんど気の休まるところはなかったようです。

地震の様子を聞いているうちに、やっぱり目で見ないと話せないなと思った。見てきたことを話すって、何よりも雄弁だ。

そして、自分がその場にいないことがきちんと認識される。

ニュース映像にありがちな、その「切り取り感」がない。人の喋りはカオスだ。そのカオスに本質がある。

ソクラテスは、書き言葉を「死んだ言葉」としてあつかったらしく、生涯一冊の本も出さなかったらしい、です。どっかで読んだなぁと思って調べてみたら、面白いブログってあるんですな。

ちなみに、いつもクサンチッペ(ソクラテスのおくさん)が悪口ばかり書かれているような気がして、気になって調べてみました。そうだよな、ソクラテスって稼ぎの悪いヒモ男なんだよな、実際は。クサンチッペの女心は報われない。

話を戻します。

人の話を聞く時も、文章を書くときも、読む時も、いつも思う。「それ、ほんと?」って。

疑っているわけではない。もっと詳しく聞かせて、ってことでもある。材料ないと、感想も偏りそうだから。

上手に話すことは実は単純化していることがある。だから、答えにくいかもしれないことを問答法で急がず聞くと、違う視点が浮き上がってきて、すごく興味深い。本質への足がかりがある。

昨今の人は、正しい、間違っているという軸で話すことが多いのか、好き嫌いで語らない。正誤だと、物事から距離が取れるから多用するのかな?

さて、ニュースに関して「いつも現場にいろ」とか「見たことない人は言うな」とは思っていない。個人的な感想は言ってもいいと思う。

特に沖縄宮古は社会的にも政治的にも感想すら封殺されることがあって、がっかりする。

昔、FBに「影響力がある宮国さんがこんなことを書いては困る」と書かれて頭にきた。ないですよ、そんな。

「どういう意味でしょう」と返事を書いたら返事はなかった。あんたこそ超無責任だわよ、と憤慨した。

自分の主義主張と違うと「困ると書く被害者意識」そのものと「対話を続けない辛抱のなさ」が沖縄を引き裂いているようにも思うのです。ネットリテラシーと言う前に、普通のリテラシーすら遠い。

だから、島の庶民は政治から遠のこうとする。ついうっかりすると、根こそぎ叩き潰される。島の実力者であるほとんどの人が島独特のノブリスオブリージュを持つけど、そうでない人も増えたような気がする。

島のかっこよさは、若々しいマッチョではない。父性とか母性近い。成熟している。だからおばぁが愛されるのだ。

あぁ、またずれてきた。

見ていないこと、経験していないことを言うとき、書くときは、第三者や取材者であるという客観性や自分なりの視点であるということを明確に書こうと思う。

相手の言葉を翻すように発言すると、脊髄反射と嫌がる人もいるけれど、そう思うならなぜそうなのか、聞いてみたいなぁと常々思っている(そして、たいがい聞いている)。感情的でない親切な人はきちんと教えてくれる。それがリテラシーの成熟だと思う。

互いに素直にじっくり話すことは、勝手な決めつけをしなくてすむし、遠回りしてるように見えて、一番の近道だ。会話がキャッチボールになっているから。

ぼんやり聞いているうちに、想像力の余白で、さらに話が弾む。自分の意見が変わらなくても、豊かな視点で物事を考えることができる。

取材をしていて、いつも思っていたけど、人は、知らず知らずに話を単純化することがある。それは、言語化しやすかったり、何度も話していることだから。

だから、私は質問をするのだ。言語化しにくい本質的なことを相手にも考えてもらって、話をして、いっしょに記事にしてもらうのだ。大事なことって意外とこぼれ落ちている。それは、本音を聞き出すという意地悪な視点ではない。

まぁ、時間がなくて、情報過多な現代人には、そんな時間はないか・・・。

だから、相手のわかりやすい説明で、何事も断定はできないと思う。取材して、書くことは、編集の段階で優先順位もあったりして、がっつり自分フィルターがかかる。

2日続けてこういうことを書いてるってことは、発信の仕方をいろいろ考えているからだ。

最近、SNSでのやりとりで、背景をよく知らない人、一部しか知らない人とやり取りすることが増えているから、できるだけ感情的なやり取りはさけたいなぁと思うのです。

まぁ、とにかく、話を最初に戻します。

地震の件は、結構壮絶で、改めて日本って地震大国だよなぁと思った。センシティブな国民性、江戸の宵越しの金はもたねぇとか、いろいろとつながっているんだろう、とも。

あと、友人のところで、地震の数日後にパンを何千個と配ったら「遅い!」というお叱りの声があったそうな。いちいちそんなことで電話してくるって、日本人は贅沢になったのかな。

私には、その地元で頑張る友人をいたわることしか今はできない。「あんたはよくやった!頑張った!無理すんな!気にすんな!」と褒め称えた。業務上で、そういう決断をできた友人は誇りです。

ちなみに、宮古と地震といえば、明和の大津波ですね。

検索していくと、やっぱりネットってすごい。下地和宏先生の論文が出てきた!
https://www.city.miyakojima.lg.jp/soshiki/kyouiku/syougaigakusyu/hakubutsukan/files/kiyou11-01.pdf

他にも、八重山のレポートがあった。すごくまとまっている。読み応えあります。


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