ぼけた曾祖母

母方の曾祖母がえらくぼけた。
85歳で亡くなるまで軽く10年はぼけていた。
あれ?88歳だったかな。
早くから100歳くらいの風貌だったのでよくわかりません。

当時はまだ老人呆けとしか言っていないような時代。
花粉症も聞いたことがなかった時代。

嫁が金を盗んだと言うところから始まる、今となってはよく聞くやつでした。
完全夜型人間になり、暗い部屋で真夜中にずっとお金を数えていました。
曽祖父も祖父も先に亡くなったので嫁であるヒステリック祖母と母のもう一人の弟と3人で暮らしていて、
末期には部屋のごみ箱をトイレとして使ったりしてよくわからなくなっていましたが、そうなる前から外を徘徊することはなく、ほとんど家にいました。

ボケる以前のわたしが赤ちゃんの頃、庭に出た普通の蛇を素手で捕まえて地面に叩きつけ、ビャッと皮を剥がして裏口にぶら下げていて怖かったです。
アルコールに漬けていたのか食べていたのか飾っていただけなのか、そこは知りません。

ボケが進むとだんだんお風呂にも入らなくなり、同窓会の前日にお風呂に入ったらのぼせて具合悪くなって毎年欠席していました。

夏になるとスイカの皮でゴシゴシ顔を磨いていて虫のニオイがしていましたし、ハエが寄ってきていました。
シワがなくなるそうです。
確かに乾いて突っ張っていました。

毎日毎日煮物を作っていて、毎回鍋が変形するほど焦がしていましたが、ちゃんと食べていました。
絶対においしくなかったと思います。
ただの炭です。
材料がなんだったのかもわかりません。

わたしがそろそろ危ないなと思ったのが前に書いた「火のついた線香で障子に穴をあける」という行為でした。
理由を聞くと「きれい」と言われました。

わたしが泊まりに行ったある日、台所から変な声が聞こえるので見に行くと、
さむいさむいと震えながら真冬の台所に新聞紙を敷いて新聞紙を掛けて寝転がっていました。
寒い、殺される、と怒っていました。
ここは寝る場所ではありません。

さすがにこれはもう安心して眠れないという事件が、
夜中に自分の布団を燃やした件。
体が燃えそうなほど近くに電気ストーブを置いて寝ているのにまだ寒かったので温めようと思って布団に火をつけたそうです。
寒かったから!と怒っていました。

ボヤ騒ぎを二度ほど起こしたのでマッチを取り上げると、親戚に買ってきてもらって5万円あげたりしはじめました。
わたしには頼んでくれないので羨ましかったです。
銀行の人にまで頼んでいました。
たまに自分で買いに出てしまってましたがとんでもなく歩くのが遅く、ガリガリのヒョロヒョロなので近所の人から幽霊だと言われていました。
一応薄毛を気にしてカツラをかぶって外出していましたが、
真っ黒いショートのカツラの下から肩下くらいの少ない白髪をなびかせていたし、
だいたい前後逆になっていたし、
たまに裏返しで表がネットになっていて涼しげな帽子のようでした。
おなかがよじれるほど面白かったです。

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