連弾の相方

小学校高学年の時、何がきっかけだったのかわからないけど同い年の女の子と連弾をしていた。
当時、サントリーのCMに出るほど人気だったラベック姉妹に母が触発されたのかもしれない。


母がラベック姉妹のCDを買い、
最初に買ったこのCD↓に収録されている18曲目までは全部弾いた。

残りの曲はたぶん興味がなくて弾いていない。

どのCDに入っていたか覚えてないけど個人的にこれ ↓ が好きでよく聴いていて、最後の黒鍵グリッサンドに憧れたけど、
とんでもなく痛いので指によろしくないなと思った。骨が痛い。
痛くてやりたくないので憧れなのです。


ドボルザーク作曲スラブ舞曲第8番は物凄く練習した覚えがある。地方のコンクールの課題曲だったんだと思う。

わたしの中では遊びの域だったので詳しく覚えていない。
全国優勝したわけでもないのに新聞のローカル枠が家まで取材に来てくれて、恥ずかしくてなんか嫌だったのは覚えている。
顔を隠したいのに顔が見えるように弾いているポーズを取らされてすごく嫌だった。
恥だと思っていた。
コンクールが開催された地域のローカル欄なので、そこから遠い我が家付近の新聞には掲載されていなかったのが救い。
今いくら調べても出てこないので幻だったのかもしれない。

いつもわたしの相方が我が家に来て練習をしていた。
車で30分以上はかかる距離の子だったので彼女のお母さんが車で送って来るか、彼女一人で電車とタクシーで来るか、駅までうちの母が迎えに行くか、という感じで、よく通ってきてたなぁと思う。
週1で来てたんじゃないかな。

母がまだ家事を放棄していなかったので、母が作ったごはんを食べて帰ることもよくあった。
確か、卵アレルギーだったと思う。
彼女がうな重が大好物だと言うので、ある日わたしが階段から落ちて大けがをしたお寿司屋さんでうな重を食べさせてあげることになった。
わたしと両親は各々好きなものを注文し、彼女はうな重の上か特上を注文した。

彼女はとても嬉しそうにかき込んでいた。
喋りもせずすごく美味しそうに食べていた。

ごちそうさま!と言って食べ終わった彼女のお重には
鰻の蒲焼きが丸々残っていた。
全員頭の中が???になった。

『うな重は好きだけど、うなぎは嫌い』と言った。

蒲焼きのタレが好きなのね。。
後日母が、せめて並にしとけよと言っていた。

あれから30数年が経つけど、
彼女は鰻を食べれるようになったんだろうか。

中学には連弾をやめたし彼女には全く会っていないし連絡先も知らないけど、いつか連絡を取れる日が来たとしたら、
『ひつまぶし食べたことある?』と聞いてみたい。



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