寝言


まる一週間ほど猫になったり床になったりしていたので日記の更新が滞ってしまった。

以下 猫になっているあいだのねごとたち

・よく使われる比喩に「熱が出たときに見る夢」というのがある。この比喩、生まれてこのかた、ぴんときたことがない。見てみたいよ、熱が出たときに見る夢のような夢。しかし今回もだめだった。むしろかなり現実に即した夢を見たよ。ライブしたり特典会したりしてた。それがわたしの大事な現実。

・何も音がしない世界は心細いが、脳みそは新しい情報を取り込むのを拒む。感情が揺れ動くのも拒む。よって何回も聞いたことのあるラジオを延々と再生し続けていた。全然知らないひとびとのいとなみに芯から助けられている……ほんとうに有難かったのでお布施の気持ちでラジオのグッズを買った。

・外に出ず誰とも話さずいると自分が何でもなくなっていく感覚がする。ただの生き物になっていく。

昔よくなっていた感覚?を思い出した。
自分は自分としてずっと存在しているが、なぜ蝶に生まれなかったのか、熊に生まれなかったのか、と考えていると、自分の肉体が自分でないように思えてふわふわしてくる。軽い離人症というのだろうか。

子どものころ、このふわふわしているさなかに家族や身近な人の顔を思い浮かべるとまるで知らない他人のように見えてくるのが怖かった。わたしはそれを「へそなしきもち」と呼んでいた。おへそがなくなったようなきもちだから。みんながこの気持ちを知っていてみんながそう呼んでいると信じ込んでいたのだ。いつかははしと話しているときに「へそなしキムチ?なにそれ?」と言われ現実を知った。

・比較的食欲がない。ラーメン食べたい。食欲がないとラーメンを食べたくなる。
食欲がないからあっさりしたものを食べたい←これもまたぴんときたことがない。まあ夢よりは理論的に理解できる。わたしにとってあっさりした料理はあっさりした味付け、素材の味を楽しみたいときに食べるものだ。食欲がないとそのように素材を深く味わう余裕がないから、わかりやすいUMAMIをぶつけてくれる料理を食べたくなるのだろう。まあじっさいにはあっさりしたう!など食べるんですけど。しかしまったく食欲がなくて食べられないってここ数年で一回もないかも……。
恵まれている。とてもとても恵まれている。親に感謝だよ。yeah

・気がつくとお決まりの思考に流されていって床。そんなことはないと立ちはだかろうとする意志。どちらも真実でどちらも真実ではないと今はわかる。どちらを現実とするのか決めるのは君だ選ぶのは君だ♪♪ってワケだよ。らんららららんらんららんら。

・床から這い上がって人になって遠くに運ばれて寝て起きてライブをした。みんなごめんねありがとう。

・空が綺麗だった。野外でライブをすると、ついつい木々や空を眺めてしまう。さまざまな鳥が飛んでいた。美しい場所だ。また来る。こんどこそは全部を吸い込むんだ。

・その日までまた、現実をするぞ。
・いっしょにね。

またね

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