神は死んだ ってさ(雑記)
神が生きていた前提で語ってくれてる優しい言い方だよな、と最近思いました。
この言葉を最初に聞いた、宗教をやっていたときの自分はシンプルに「ニーチェって何様!?」となってた。(すごい人です)(雑すぎ解説)
まずは懺悔から。
最近メンクリをサボっています。薬の飲み忘れが溜まってきたのと、前回の診察で出た宿題が全然片付いておらず爆裂きまずいのです。
日にちがひらくほど気まずさは倍々ゲームになるのではやめに行こうと思います。
さて聞きようによってはタイトル詐欺になるのですが、私は引き続き神を信じています。
理由は、大ざっぱに言うと、「神はいる」と思うほうが何かと都合がいいから。
熱心な信者の方にとっては、きっととても不敬に感じられる言い方だと思います。
しかし言わずもがなですが信者の方の活動を否定したり、ましてや神様に舐めた態度とりてえなんてわけでは1ミリもありません。(もちろん特に信じていない人のことも否定しません)
自分にとって、神様とは、「すべてを見ている存在」という認識です。
自分たち人間に見えているものは、100年とかの年月生きたとしても、世界の本当にごくごくわずかの、ちっちぇ〜砂の一粒にも満たない程度だと思います。
人間は殴れば死ぬし、火に落ちても水に落ちても死ぬし、衰弱しても死ぬし、本当にもろい。
クマムシなんか体の水分が3%になっても大丈夫なのに。(すごE)
こういう耐久性をはじめとしたあらゆる不平等な要素を、神が見ていないわけがないと、私は割と小さい頃から思っていて。
万能で全知全能でただ一つの例外もなく頂点の存在である神が、たかだか「自分の存在を信じてるかどうか」という基準で終末に残す個体を選別するとは、とても思えない。
なので私は神が好きです。
神の前では、善悪という概念が「右か左か」くらいの質感になるところが好きです。
こっちがどんだけ呼びかけてもヨブ以外にはまるで語りかけようとせず、贔屓にするでも裁きを与えるでもなくただ動向を見ているだけというのもとても気楽です。
ちなみに私は左右だと左が好きです。左利きなので、贔屓にしています。
自分が恐れている化け物にいつか自分がなるのではないか、あるいはもう既になっていることに気づいていないのか、そういう不安とずっと戦っています。
でもきっと、多分、そうであってほしいだけかもですがそれは、自分がどう認識するかなのだと思います。
私は化け物ではなく、宇宙人でもなければ教祖でも、ましてや神でもなく、人でいたいです。
明日も明後日も、人でいたいです。
人として、人の社会で暮らしたいです。
殴れば死ぬし、火に落ちても水に落ちても死ぬし、衰弱しても死ぬし、人間の生とは本当にもろいのですが、それでも私は、それを享受する時間を過ごしたい。
それを許してくれるのが神様だと思うし、そういう心の拠り所として「あなた」は存在しているのだと思っています。
なんか客観的に見ると意味深な文章になってしまったのですが、特に何かの暗喩とか誰か特定個人に向けた秘密のメッセージとかではなく、文字通り神の話です。
私は小学生ごろから現在に至るまで、四六時中こんなことを考え続けています。(熱心な宗教信者の家庭に生まれたもので)
人にキレる代わりに神にキレることは、人と争わなくて済むし、特に日本では「存在もしないものに一人でキレ続けて虚空パンチしてる異常者」になれるのでオススメです。
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