会ったことのない「おじくん」 (雑記)



 もう二年ほど前になるのですが、おじめい個人版をきっかけにインタビューのご依頼をいただいたことがありました。

 その中で「芽生は実在の自分の姪をイメージして描いている」とお答えして、今でもそのスタンスは99.9%変わっていません。
 もう何年も会っていないので向こうはこちらを覚えてるか不明ですが、家族ともども元気でやっていることを祈っています。





 話は変わりますが、ここ最近、自分の原動力について振り返っていました。



 私が制作を続ける理由は「救済」だと、周囲の人に話しています。これはSNSにもなんぼか書いているね。

 その発端は自分がどうにか救われたかった、ほっとしたかったからで、あくまでも最初は自分向きの矢印でした。
 と言いつつ制作と向き合ううちに「自分だけじゃなく、自分と同じように悩む人たちへの"ほっ"にもなれるのではないか」と思うようになり、今はどうすればそれを広く伝えられるだろうと思いながら、プロットやネームをあーじゃねこーじゃねしています。





 もういない人なのですが、私には血縁の伯父がいます。




 両親が結婚するよりも前に事故で亡くなったらしく、その顔を見るのは祖父母の家の壁にかけられた白黒の写真1枚のみではあったのですが、ちょくちょく祖母らから話は聞いていました。
 写真は恐ろしいほど祖父に似ていた。

 恐ろしいほど勉強が得意だったそうで、過去に遺品整理を手伝ったときビッチビチに文字が書いてあるノートやめちゃむず学問のファイルなどが(私からはそうとしか言えない、無念)たくさん出てきてたまげました。
 会ったことのない、もういない、でもいた人、生きていたはずの血のつながった他人の痕跡はとても不思議で、言語化できない気持ちが溢れたのを覚えています。



 血縁の「おじ」はこの人のみなので、話題に挙がるたびに会えなくて残念だなあと思っていました。
 もし話せたら楽しいこといっぱい教えてもらえたのかなあとか、祖母のかわいいけどどうしようもないことを共有してケラケラ笑ったりできたのかなあとか思います。

 親や親戚から聞く限りではいじわるな兄貴だったらしいし、一方的な夢想に過ぎないのですが。


 



 身近に継ぐ人がいなかったので、存命の祖母と養子縁組をして、その苗字を貰いました。



 手続きをしてからしばらく経ったのでようやく慣れてきたのですが、実家で唯一自分だけ苗字も戸籍も違うし、学生時代からの知り合いには旧姓で呼ばれることも多いので未だに混同します。
 自分ってナニさんだっけ? と思う。




 振り返ると、苗字を貰ってから人生が色々変わったような気がします。



 自分の原動力には、一度も会ったことのない「おじくん」の存在もあるのかもな。
 等と一方的に思った朝でした。

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